『平清盛』第37回感想 

2012/09/24 00:28

『平清盛』第37回 殿下乗合事件 感想 2012.09.23放送

この3回ほど、およよ、と面白く見ている。

第35回は「わが都、福原」で清盛が出家して入道になった話。
これは、清盛が福原へ移ってからの、何かやらかすぞ、というワクワク感が素直に面白かったの。
マツケンの入道姿も似合ってるしね。
確かに、50歳は無理としても30代後半くらいには見えます、マツケン。
まるで執事のようだった上川の腹黒そうな感じも好きだな。

第36回「巨人の影」は面白かった。

相変わらず兄弟・息子が入り乱れてて、上下関係がいまいち覚えきれない老化したノーミソではありますが、
入道姿のお陰で、すっかり顔の表情がダイレクトになったマツケンがいい。
そうそう、もっと腹黒くイロイロやらんと、平清盛! 
じゃないと、平家にあらずんば人にあらず、という台詞が浮くよ~!
さあさあさあさあ、遠慮せずにやりたい放題してくだされ!! 

確か始まりは義経だったよね。神木くんが大変可愛らしい。義経がようお似合いだ。
足を滑らせた師匠?を支えた時は、思わずお前は天狗か! と突っ込んでしまった。w
崇徳上皇の怨念の回とかもそうだったけど、この大河、時々こういう摩訶不思議伝説をひょっこり取り入れたりしてて案外いいんじゃないかと思う。

清盛は福原に移り、大和田泊の改修に取りかかるわけだけど、大型重機もないこの時代、一体どうやって改修に取り組んだのか、めちゃ気になる。兎丸に勝手にやらせてないで、その行程をちょっとでいいから見せてくれないかな~。見せてくれなかったら、ケチ! と叫んで自分で調べるか。

建春門院となった滋子さんは、アッ子さんのように酒ばっかり酌み交わしてまして、権勢を誇る方にしては、イマイチお若いかしらん、とか思う。なかなか、聖子ちゃんや松雪さんのようにはいきませんな。でも、それが逆に初々しくもあるんだけど。ただ、とても美しい人なのに、時々おてもやんのように見えるのはどうしてだろう? 

この後の藤原成親を挟んでの、公家連中と僧兵のやりとり、そして清盛の絡み方は面白かったよ。
この吉沢悠さんはいいです。
したたかな政治家という役割をきっちり演じていて、腹黒さが透けて見えるのが面白い。でも、公卿だから、時々身も世もなく命乞いしたり、震え上がったりしてて、その落差がワタシはとてもおもろい。

西光の眉毛もナイスだ。うん、義父がかなり立派な眉だったけど、その上を行ってる。最後の陰謀時には、更に凄みが上積みされるんだろうかと思うと、今から楽しみ。

後白河上皇は見てて面白いけど、やっぱちょっと若いかなというのが気にならなくもない。
品があるよね。意地悪だけど。うん、腹黒いというより、意地悪だよね、あの人(笑)。
政がどうのというより、アイツ嫌い(=大好き)で動いているところが、大変魅力的。
大義名分がないんだもん。あそこまでいくと、いっそ清々しい。(本物はどうだったのか知らんけど)

成親を庇ったり、罷免したりというあの辺の駆け引きは面白かった。もっと、こういうのが続くのかと思っていたんだけど、この大河。合戦も確かに大河の魅力ではあるけど、もっと政治の駆け引きを面白く描いてくれるとワタシは楽しいのだけどな~。

で、重盛だよね。

第37回は、重盛に泣かされたよ~~~。

ちょっと前から気にはなっていたんだよね。
清盛ってば、自分だって「正妻の子じゃないから」ってあれだけ僻んでたくせに。
ま、越えてきた道だからこそ、自分で乗り越えなきゃ意味がないってのも痛いほどわかってたのかもしれんけど。
つい、あの真面目そ~な顔を見ると、誰か力付けてやれよ~って思っちゃいましてね。

重盛の総領的真面目さが、とにかく悲しい。
いーんだよ、清盛になれなくったって、清盛は清盛で好き勝手やってるんだからさ。
もっと自信持ちなよ~。って言ってやってよ、誰か!

時子かーちゃんは、大変愛らしく賢くもありそうなんだけど、重盛を慰めてあげるつもりはないらしい。
やはり、実の子の方がカワイイのだろうか?
そっと寄り添ってくれるのは、やはり妻・経子なんだよね。
夜更けに一緒に???(←聞き取れなかった)を読むシーンは良かったな~。立派な頭領たろうとする重盛と、夫に寄り添おうとする経子の気持ちが、しみじみと滲み出るようないいシーンだったよねぇ。
なんてーか、好い夫婦だな~、好い人たちだな~って。
でもさー、そういう人は政治の世界には向いてないってのは古今東西変わらないわな。

それにしても、息子である重盛がこれだけ責任感を持って頭領という職務を全うしようとしているのに、
あの孫は何じゃ。平家頭領の嫡男だぁ? 清盛入道の孫だぁ? んなことでいばるな、って誰か教えてないの?
ま、それくらいの方が大物なのかもしれないけどさ、
あー3代続くとどこでもこーなるんかね、こりゃ潰れるわ、と思わせるお孫ちゃんだったね。

正しさという点で、重盛の裁断は間違っていなかったと思う。
うん、摂政様にお会いしたら、子どものアンタが輿を降りるのは礼儀ってもんだろうさ。
平氏であることをかさにきた資盛(すけもり)が、悪い。
でも頭領ってのは、一族を守る義務があるわけで、それは何よりも優先されるんじゃなかろうか。
どんなに「自業自得」なおバカでも、何かあった時にはオレが守ってやるよ。
それが頭領に寄せられる一番の信頼でしょう。そこで正しさによる裁断は力を持たないんだよ。

誰かさ、教えてやらなかったんかい。
盛国は清盛以外はどーなっても良かったんかい。

一生懸命努力して努力して頑張ってる重盛が、あんまりにも哀れで。
間違ってもいいからさ、次を頑張れよぉ! とワタシは応援してるからね、重盛!


で、唐突ですが、京本政樹さん、美しいですな。あ、奥州・藤原秀衡役です。
睫が誰よりも長いんですけど! 一瞬しか登場しなかったのに、存在感たっぷりでしたね。
でもこの人も腹黒そう。(笑)

お公家さんにも触れておこう。
細川茂樹さんと相島一之さんのお二人。すっげ意地悪そうで、好きだなこの人たち。
公卿であることのプライドの高さとそれなりの頭脳と意地。有職故実に囲まれて古式ゆかしく暮らすのが好きで、他人を見下し意地悪するのが大好きなんだろうなぁと思える(笑)。ホントはちゃんと仕事をしていたのかどーか知らんけど、この物語ではそう見えるよね?

相島さんは『JIN』の多紀元えんを演じていて、ワタシ大好きだったんだよね。
立ち位置としては、今回の役ともちょいと似通っている。こういう役所、彼は最高。

で、伊豆の方々といえば。

あ、優香姫だ! と我が家では同時に声があがったのだよ、政子ちゃん。
で、時政どのはじいやだそうな。

…いいけど。いいけどさ。ふんっ。

エンケンさんの時政は、何をしてても「娘がカワイイ」ってのが丸分かりで、
どーやったらあれを演技でできるんだろう? と不思議になるくらいの親父さまぶりだ。
別にデレデレしてないんだけどね。
小言を言っても、呆れても、その底に愛情があるのが疑いなき事実、って感じで。
娘を想う父親像としては、ワタシはサイコーだな。^^

あと3か月しかないけど、この時政どのがどう変化していくのかとても楽しみでござるのだよ。


というわけで、久しぶりの孟宗竹林だだもれ感想でした。

テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

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拍手コメント御礼&どーでもいいこと。

2012/09/21 18:40

以前、というか最近めっきり書いてないが、ヤマトの二次小説を書いていた頃は、
この手の話題はネタバレも同然なので避けていた。

この手の話題、というのは、『ヤマト』という作品をどう解釈するか的な話だ。
「ネタバレ」というか、「言い訳」というか。
どんなに拙くても二次小説という形で書いている以上、そっちで表現すべきだろうと思ったし、
あの時期はそういう形で書くことが面白くてしかたかなかったんだよね。

今は、書ける時に書ける形で書けばいいや、と思ってる。

ただ、ワタシはすごく小心者なので、実はびびっている、のだ。
だから、感想であれ、共感であれ、反対意見であっても、ご意見をいただくと大変嬉しいのです。
本当にありがとうです。

この後も「疚しさ」をキーワードにして真田達についても書こうと思っているし、すごく語ると思うけど、
(笑)
実はこの記事を書こうと思った最大の理由は、古代進について書きたかったからなのだ。

自分の中で理解できずにいた、古代のあのガミラス上空での「戦っては…」発言がやっと腑に落ちた。
それがとても嬉しかったのだな。

古代進は確かにヤマトの主人公だ。
そして主人公とは、その行動が物語の骨子であり、込められたメッセージを体現しているものでもある。
その古代進に共感できない、ということは、
実はワタシはヤマトという物語を理解していないんじゃないか、と。

そうして自分の中のヤマトを見失ってしまっていた気がする。
(あ、そうか。だから二次小説が書けなくなってたのかもね。←今気が付いた(笑))

『2199』をダシに今更『ヤマト1』の考察なんか始めたのは、原点に返りたかったのかもしれない。
それが自分なりに納得できる形で理解できたから、嬉しかったんだよね~、たぶん。

ヤマト、おかえり。
みたいな(笑)

ということで、古代については今まであまり深く考えてこなかった事もあり、
一足飛びに結論に飛びつきたくなるが、それをすると間違えるみたいだ。
考えが足りない、というか。

先日の古代の記事に、ワタシは
>ユキを失って初めて、古代はそれ(=疚しさ)をひとりで背負うことの覚悟ができたのではないだろうか。
と書いた。

そこに疑問を投げてくださった方がいる。
それを読んで、
あ、ワタシ、結論を急ぎすぎたかも、と思った。

古代がユキを失う(かもしれない)、というシーンは、全シリーズ中何カ所かある。
『ヤマト1』でのデスラーとの最終決戦時。
『ヤマト2』『さらば』での地球出発時もユキと一緒じゃない(はずだった)。
『永遠に』という生死すら不明で戦いに出た事もあった。
そして『復活篇』。ユキは未だ帰らない。

もしかして。
もしかして、逆じゃないのか。
古代は、『復活篇』でユキが護衛艦隊団長を引き受けるまで、
ユキと分かち合ったものがあることを、うっかり忘れていたのではあるまいか、と思ってしまった。

でも、まだ考えたい。考え足りない気がする。
それに、実は前回の考察で、ワタシは古代が疚しさを抱えて戦っていたかもしれないという可能性をひとつ無視している。

というわけで、古代とユキの関係については、もうちょっと考察したいと思います。
コメントくださった方、お時間ください!m(_ _)m
それに、ワタシはふたりの恋愛感情を否定するつもりはないので、もしかしたら、ユキについて考察していくなかで答えが出てくるかもしれないな~と思っているのですが。

読んで下さってありがとうございます。
コメントも嬉しかったです。
また、ツッコミ所がありましたら、よろしくお願いしますねm(_ _)m


というわけで、どちら様ももう少しお付き合いくださいませ。

以下、「つづき」は拍手コメントの御礼です。
お心当たりの方、どうぞ。



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『ヤマト1』における疚しさと立ち位置*3

2012/09/20 17:24

今日も暑いね、関東地方。
夫はふうふう言いながらも「明日から涼しくなる」と念仏のように唱え続けて出かけましたがホントかな?
(笑)

『ヤマト1』に置ける疚しさと立ち位置の考察その3。
疚しさをキーワードにしてごちゃごちゃ言ってみるけど、それが正しい読み方ですと言いたいわけではないです。
物語の読みとり方は各自それぞれなわけでして、
だからこそ、こんな読み方もあるかもしれませんけど、という話です。

特に『2199』については、ワタシ劇場でそれぞれ2回ずつしか見ていませんし、
設定とか公式サイトとかの情報についてはほとんど読んでないので、
もし勘違いとかしてたら教えていただけると幸いです。

^^;
ちょっと弱気になっているので言い訳してみただけです。
でも、語ります(笑)
というわけで、どちら様もどうぞよろしく。(_ _)

 『ヤマト1』における疚しさと立ち位置 
  *1(はじめに)
  *2(沖田艦長)
  *3(古代進)←

  *4(真田志郎)《予定》
  *5(森ユキと島大介)《予定》




孤高の戦士・沖田艦長さえも虜(とりこ)にしてしまった古代進。
(笑)
彼の立ち位置について考えてみよう。


『ヤマト1』において、地球発進当時18歳。
兄・古代守によると、古代進少年は「争いの嫌いな平和主義者」であった。(←台詞適当)
ガミラスが地球へ遊星爆弾を落とすようになり、地下都市へ避難する時期に、
「中学を卒業したら宇宙戦士に志願しないか」と兄に誘われているが、断っている。

その彼が少年宇宙戦士訓練学校に入ったのは、遊星爆弾によって両親が死亡したためらしい。
自身の回想によれば、2193年、古代12歳の事のようだ。

侵略を受け甚大な被害が地球上全体に出ている時期であるとはいえ、この年齢でいきなり両親を喪ったのはさぞ辛かったろう。
彼が受けた衝撃の大きさは計り知れないが、どうやって立ち上がったのか物語上には描かれていない。

つい1年前まで、帰省した兄を囲む宴会で「どうせ兄さんだけいればいいんだ」と拗ねていたほどに幼かった古代。
その古代が敵と戦うという選択肢を選んだ。

ワタシはそこに「被害者」のマインドを感じる。

それを悪いと言っているのではない。
幼かった古代が立ち上がり生きていくためには、それが必要だったのではないだろうか。

古代は復讐のために戦っていたのだと思う。
直接的には両親の為に。
間接的には侵攻を受けた地球の為に。

直情型と言われる性格がいつ形成されたのかははっきりしないが、彼は殴られたから殴り返した。
それだけだったのだと思う。

そうして「被害者」というマインドを軸に、古代の戦意は形成されていく。
幼く本来戦うことの嫌いな古代進にはこれがどうしても必要だった。
それ無しで宇宙戦士として戦うことは不可能だったのではないだろうか。

その「被害者」という立ち位置は、宇宙戦士として訓練される中でも失われることはなかった。

だから、兄・守が冥王星会戦で行方不明(当時は=戦死)になった時にも、沖田を責めた。
何故、兄を守ってくれなかったのか、と。

本来、選抜メンバーに選ばれる程に優秀な宇宙戦士として訓練を受けていた古代に、
冥王星決戦の責任が沖田の采配如何でどうにかなったものではない、という事は当然理解できたはずだ。

だが、古代進はそれを理解しようとしなかった。
それは自身を「被害者」と認定していたからではないだろうか。

イスカンダルへの往路で、古代が成長していく中でもそれは幾度か姿を表す。
ガミラス人の捕虜を殺そうとした時などは、顕著であろう。

ヤマトは、古代は、生き残ることにただ必死だっただけだ、とも言える。
圧倒的な科学力・軍事力を有するガミラスへの反撃は、だが、被害者という立ち位置によって正当化されているに過ぎない。
それ自体は善悪の判断を越えたものであると思うし、シャルバート的な考えが正解だというわけではない。

殴られたから、殴り返した。
そうやって戦ってきた彼が、初めて自身を振り返ったのがガミラス本星での戦いの後である。

「僕たちは戦ってはいけなかった。僕たちがしなければならないのは愛し合うことだった」というあの台詞。
あの時、古代進の中で、彼自身の立ち位置が「被害者」から「加害者」へと転換した。

それまで生きるために、押さえ込まれていた古代本来の性質が表出すれば、彼の感じた「疚しさ」は相当なものであっただろう。
彼の性格を考えれば、地球が生き残る為にしかたがなかった結果という大義名分ではカバーできなかったのではないだろうか。そこまでやるつもりじゃなかった。だが、もう取り返すことはできない。
戦いの残酷な一面と、古代は正面から対峙することになった。
その疚しさは、心の叫びは、ひとりで背負いきれるものではなかったろう。

だが。いや、だからこそ、古代はひとりではなかった。
それをドンピシャのタイミングで分かち合った人間がいる。
森ユキだ。

ひとりでは堪えられない痛みでも、ふたりでなら乗り越えられる(かもしれない)。
「神様の姿が見えない」と言って涙を流すユキがいなかったら、古代にはあの瞬間を堪えられなかったかもしれない。

ワタシはあのふたりの一番根本的な繋がりは、このガミラス上空での疚しさの分かち合いではないのかと思うのだが、いかがだろう。

勿論、彼らの恋心を否定するつもりはない。
古代のニブちんぶりも、ユキの思わせぶりな態度も物語の中で大切なエッセンスとなっている。
だが、様々な試練?に遭いながらも、あのふたりが最後まで別れなかった繋がりの大元はは、この時にできあがったものではないかと思う。

恋愛感情だけでない、古代とユキの繋がりはここにできあがった。
古代が被害者から加害者へと立ち位置を移した瞬間、隣りにいたのは島でもなく、加藤でもなく、沖田でもなかった。
森ユキだけが占めることのできる立ち位置は、このときにできあがったものだ。

ただ、古代は結局の所その後も「疚しさ」を払拭することはできなかった。
その後に続く戦いを拒否できずに、挙げ句の果てに軍から離れざるを得ないほどに衰弱してしまったのは、この時の「疚しさ」をずっと抱えて続けていたためではないかと思われる。
そうしてユキを失って初めて、古代はそれをひとりで背負うことの覚悟ができたのではないだろうか。
というのが、復活篇での古代の変化に繋がるのではないかと思うのですが、いかが。

『2199』の古代進にどんな背景があるのかは、まだわからない。
だが、彼の中に強烈な「被害者」としての立ち位置は感じられない。
『2199』の古代は、未だナゾのままである。
(笑)

『2199』第3章が楽しみだ。^^


 『ヤマト1』における疚しさと立ち位置 
  *1(はじめに) *2(沖田艦長) *3(古代進)
 *4(真田志郎)《予定》 *5(森ユキと島大介)《予定》

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『ヤマト1』における疚しさと立ち位置*2

2012/09/17 01:22

前回に続き、『ヤマト1』に置ける疚しさと立ち位置の考察その2。
考察と言える程のものでもないのだけど、お付き合いいただければ幸いです。

 『ヤマト1』における疚しさと立ち位置 
  *1(はじめに)
  *2(沖田艦長)

  *3(古代進)
  *4(真田志郎)《予定》
  *5(森ユキと島大介)《予定》




滅亡寸前の地球から脱出するというと、かなりラッキーなニュアンスが感じられるが、
この場合、脱出した先に楽園が待っているわけではないところがミソ。

地球を脱出しても生き残る可能性はかなり低いと言わざるを得ない。
イスカンダルへの往復に要した時間は一年なので同程度の時間は生き延びることができるだろうか。
否、難しいだろう。

まずは食料問題。
イスカンダル往路で既に食糧不足問題が発生しているし、イスカンダルに到着した時点で食料の補給を受けている。それなしで1年を生き延びることは、たぶん不可能だ。
食料問題を解決するためには、航行に必要最低限の人間を残して冷凍睡眠状態で過ごすしかないだろう。

次に、ガミラスの問題。
地球人類を全滅させてしまいたいガミラス人の事情を考えれば、脱出を見逃すだろうか。
かなり高い確率で遭遇するであろうガミラス戦艦を前にして、技術供与を受けていないヤマトが勝つ可能性、いや、生き延びることができる可能性はかなーり低い。
蛮族のしみったれた宇宙船だ、一隻くらい見逃してやれ、と驕り高ぶり、結果甘いことを言う敵将である事を祈るばかりであるが、可能性としてはあまり高くない。

更に、エネルギー問題もあるだろう。

ガミラスに見つからずにどこか移住できる惑星を見つけ、子孫を残す。
脱出した人間だけでそれを成就するのは、気が遠くなりそうな程に困難である。

つまりは、行くも地獄残るも地獄。
その状況で尚、この星から脱出しようとするのは何故だろうか。

希望、という一面はなきにしもあらずだと思う。

実写版『SBヤマト』の沖田艦長がそれをやっている。
『SBヤマト』では、イスカンダルからの情報に「放射能除去装置の存在」は含まれていなかったにも関わらず、それを提示しヤマトは発進した。そのことで、地球に残った人々に最後の希望を与えることができる。少なくとも希望を抱いて安らかな死を迎えることができるだろうと、沖田は考えた。
ウソをひとり呑み込んで人々に希望を与える。それが、沖田が自分に課した役割だった。

ガミラスからの攻撃をうけ、
もしも。
自分が最後のひとりになったら、と考える。

どうやって今日を生き延びるか、と同じ程に、どうやって明日への希望を繋ぐか、という問題は重要となる。
励ます人もいず、心配する人もしてくれる人もいず、言葉を交わす人もいない。
その状況であれば、明日になれば誰かに会えるかもしれない、どこかに同胞がいるかもしれない、という僅かな望みが生きる支えになるのかもしれない。
その時、脱出船があったという事実は希望となるかもしれない。

だが、それはかなり副次的であるように思う。
なぜなら、沖田は自分が最後のひとりになることを既に想定しているからだ。

冥王星決戦からの帰路、古代達を収容し、赤茶けた地球を目の当たりにした時。
沖田は「見ておれ、悪魔め。わしは命ある限り、戦うぞ。決して絶望はしない。たとえ最後のひとりになっても、わしは絶望しない!」と誓っている。

生き残って戦う。
それが沖田の基本マインドである。

沖田は軍人として、たくさんの仲間を喪ってきた。
家族さえも喪った。
それを越えて「最後まで戦う」ためには、沖田はそれを己に課せられた義務であると考えるしかなかったのではないかと思う。

そして、徳川機関長曰く。
「沖田艦長は万にひとつの可能性を発見したらそれを信じ、冷静沈着に行動する人」
である、と言う。

つまるところ、
沖田は地球脱出を最後まで戦い抜くための「万にひとつの可能性」と考えていたのではないか。

2147年生まれ、2199年時点で52歳。

沖田が地球を脱出することに疚しさを覚えていなかったとは思わない。
だが、既に生を受けて半世紀、そのかなりの部分を軍人として生きてきた。
自分の思考をコントロールする術は十二分に身に付けていたと考えられる。

疚しさに逡巡するよりも、沖田は己れの信念を実行できる強さを持った軍人であったのだ。
その時がくれば、沖田は躊躇わずに、地球を脱出したであろう。

結果として地球を脱出しなかったし、ガミラスに勝ったし、コスモクリーナーDも持ち帰った。
その間、一度たりと弱音を吐くことはなかった。
ただひとりで、その重責に堪えた。
大した人だと、心から思う。

『2199』では少しばかり事情が違う。
少なくとも、土方竜という戦場を共にした仲間がいる。
そして全滅しないために提示された情報の精度は、『ヤマト1』に比べると格段に高い。
出立にあたって、土方は沖田の身体を心配したが、
指揮官が病に倒れてしまう事を危惧するほうが自然だと思わなくもないが、
そこのところは、相通じる仲であったと考えられる。

総じて『ヤマト1』の沖田の方が孤高であり、孤独も強かったろうと思うが、
そんな沖田がぽろりと弱さを洩らしたのが、古代進だった。
沖田が古代を可愛がったのは、勿論その才能のためではなかろう。

古代進は、ある意味、沖田の「赦し」だったのではないか、と言ったら穿ちすぎだろうか。
沖田が、古代と雪をあれ程に気に掛けたのは、祝福の想いがほとんどであっただろうとは思うが、
それだけではなかったのではないか、とも思える。

孤高ではなく、仲間がおり、更に合理的判断とも言える「ヤマト計画」を元にする沖田は、
『2199』という物語で古代にどう接するだろう。
ワタシは、『ヤマト1』のような接し方はしないと思うけど。


さて、次は古代進のことを考えてみたい。

ガミラス星で古代が言った「僕たちは戦っちゃいけなかったんだ」というあの告白は、
彼のターニングポイントだった、のではないだろうか。

キーワードはやはり疚しさ。

  
 『ヤマト1』における疚しさと立ち位置
  *1(はじめに) *2(沖田艦長) *3(古代進) 
*4(真田志郎) *5(森ユキと島大介)

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『ヤマト1』における疚しさと立ち位置*1

2012/09/16 01:22

2199はヤマトのやばそうな設定をいろいろとフォローしてくれていて、すごいなーと思ってたりするんだけど、
その中に「イズモ作戦」と「ヤマト作戦」があるじゃないですか。

「イズモ作戦」=地球脱出計画
「ヤマト作戦」=汚染物質浄化装置をイスカンダルまで取りに行く計画

という認識であってる?
あってるよね?

この設定は『宇宙戦艦ヤマトpart1』(以降『ヤマト1』)にもあった。
作戦名こそ付いてないものの、沖田艦長が古代・島に対して「地球脱出用に建造された艦だったが、この艦でイスカンダルへ放射能除去装置を取りに行くぞ」(←台詞適当)と言っていた事から確認される。

ただ、相違点がある。
『ヤマト1』では、イスカンダルから情報を持ってきたサーシャが後にも先にもただひとりの使者だったのに対して、
『2199』では、先にユリーシャという使者がいて次にサーシャがやってきたという二段構えになっている点。

ということは、「地球脱出計画」から「イスカンダルへ行く計画」に変更された期日が違う。

『ヤマト1』で計画が変更になったのは、サーシャが火星へ不時着した時期、つまり冥王星決戦の直後になる。
そのはっきりした日程の描写はないが、第18話の真田による回想から逆算すると(「今から9か月前にゆきかぜがドックインした」)、冥王星決戦は2199年4月末~5月頭くらいと推察される。計画の変更はヤマトが発進した2199年10月6日よりほぼ5か月程前の事になる。

『2199』では、ユリーシャがサーシャより1年前に現れている。「ヤマト計画」が立ち上がったのはその時点だろう。ただ、サーシャが波動コアを持ってやって来ない可能性を考慮し、「イズモ計画」と「ヤマト計画」は並行して準備されていた。つまり、冥王星会戦が2199年1月ということは「ヤマト計画」が立案されたのは2198年1月頃となり、計画変更が決行されたのが2199年1月、ヤマトの発進が2199年4月となる。

そんなわかりきった事を何故持ち出してみたかというと、
この2つの物語を比べることで『ヤマト1』に置ける沖田や真田、古代進達の立ち位置を考えてみたいと思ったからだ。

キーワードは「疚しさ」。

さて。
選ばれた人間による地球脱出計画って、かなりやばいと思うのよ。
何しろ滅亡寸前なわけじゃない。脱出したいのが人情ってものでしょう。
計画は秘密裏に進められた、というのは至極当然。
選ばれても誰にも言えない。たぶん、家族にも言えないし、家族を一緒に連れて行けない可能性が高い。
ある日突然、こっそりと何も言わずいなくなる事しかできない。
…と、思う。

かなり疚しいよね。

人間は自分の行動を合理化し説明する事はできるけれど、自分の心を合理化することはできない。
疚しさから逃げることはできない。
疚しさを罪悪感と捉えてもいいかもしれない。

それでも、これを受け入れて実行するには、生きたいという強い欲求(生命力)とこれは自分に課せられ実行せねばならないものなのだという義務感が必要なんじゃなかろうか。

そうして自分の行動を正当化しようとしても、疚しさから逃げることは不可能だ。
立案し、計画に携わった者は、尚のことだろう。

では、それは誰だ?
どちらの物語でも、立案し計画実行したのが誰なのかは描かれていない。

だが、艦長である沖田と技術責任者である真田のふたりが関係していないはずはない。
……藤堂長官や防衛軍首脳部の人たちは、今回は話の筋と関係ないので脇へ置いておく。

立案したかどうかはわからない。
だが、沖田と真田は、少なくとも計画実行に携わっていたはずである。

古代進や島大介といった『ヤマト1』の18歳組は、知らなかった。

森ユキは、うーん、微妙だな。

古代守は、たぶん知っていて、最後の最後に計画に組みすることを拒否した。

***************^^

ということを考えてみました。
実は、自分でもどうなるかわからないままに記事を書き始めてます。
最後まで考察できるよう祈ってくださいまし。

今度の台風はすごいですね。中心気圧の低さには驚きました。
皆さま、どうぞお気をつけて。

ではでは。




  『ヤマト1』における疚しさと立ち位置 
  *1(はじめに)
  *2(沖田艦長)

  *3(古代進)《予定》
  *4(真田志郎)《予定》
  *5(森ユキと島大介)《予定》

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写真をとる。

2012/09/13 11:05

我が家にはビデオカメラがない。
壊れてしまった、というのではなく、現在にも過去にも存在しない。
つまり、買ったことがない。
たぶん、子どもがいる家庭にしては珍しいのではないかと思う。

長男が生まれる前、ワタシは購入を考えていたが、夫が「いらない」と主張した。
撮ったビデオは編集しなければ、見て面白いものにはならない。
自分(夫)にそれをするつもりはないし、ワタシには時間的に無理だろう。
ただ、漫然と撮ったテープが一度見ただけで(下手をすると見ないままに)溜まっていき、
そのうち邪魔になるだけ。
それならば、写真で十分、と。

仰る通り。
ということで、我が家には今もってビデオカメラというものが存在しない。

今時のハンディなカメラで、データもデジタル保存でき場所をとらないとなれば話は変わったかもしれないが、
あの頃は、どこのテレビカメラだよ(笑)ってなくらいでかかったしね。

その分、写真には愛情込めて、たくさん撮った。

…とかいうのなら、ウツクシイお話だが、ワタシは生来の不精者夫婦。
実は写真もそれほど多くないし、
この10年くらい全然整理してないから、どこになにがあるのかさっぱりわからない(苦笑)

更に。
ワタシは、ある時から子どもの行事の写真を撮ることをやめた。

写真を撮ることは、一瞬を切り取ることだと思う。
その輝きは一瞬を捉えたからこそで、動画に勝るとも劣らない。

けれど、その一瞬を切り取ることと引き替えに、直に見ることを諦めなければならない。
カメラのレンズ越しの、
自分が切り取ろうとした瞬間のみだけを、見ることが許される。
覗いたファインダーの外を見ることはできない。

プロのカメラマンさんは、たぶん、ワタシが見ているよりも余程たくさんのモノを見、
その中からワタシには見えなかったものを映し出しているに違いない。
その視野の広さと、選択の確かさと、写せないモノが存在するという覚悟が、素晴らしい写真を生み出すのだと思う。

一瞬を永遠にする。
それはとても素晴らしいことで、ワタシが漫然と見ていたのでは絶対に気が付かなかった一瞬を切り取る、とても豊かな作業だと思う。

でも、どんなに素晴らしいカメラマンさんにもできないことがある。
一生懸命走ってくるその子を、声をあげ、手を振って応援することだ。

これのふたつは両立しない。
それに気付いた時、ワタシはカメラを手放した。

ごめん。
おかーさんが見てるから。おかーさんの目に、思い出にちゃんとしまっておくから。ずっと覚えておくから。
だから、ごめん。
写真は撮らない。
そう思って、ワタシは応援することに決めた。

だから、毎年あった運動会も、文化祭も、部活の試合も、卒業式も入学式も、
我が家にあるのは、ポーズをとった記念写真がほとんどだ。
時々、友人が代わりに撮ってくれたりするけど。

とかいっても、全く撮らないわけじゃない。
やっぱり撮ろう! とか思って、カメラを構えていたりするんだけどね。^^;
よーするに無精なんだよね、ワタシは。
それに、下手なんだ、写真とるの。(泣)

同じモノを見て、同じモノを撮っているのに、どーしてこんなに違うのさっ!?
こう、子どもの運動会とかとは別にね、めっちゃいいなと思った瞬間とか風景とかあって、
それを残したい、切り取りたいと思うことはワタシにだってあるわけだ。
でもねー、これだっ! ってな写真が撮れた試しがないのだな。

あーあ。
ヘ理屈をこねくりまわしてる間に、何か腕を磨く機会を逃した、ってだけのことかもしれませんな。
(苦笑)


時々。
写真を撮っておかなかったことを、後悔することがある。
まだ、顔がまん丸だった頃の子どもたちの写真を見て、ごめんよ~^^;と呟いてみたりするけど。
たぶん、ウチの親ってこうだったよねえ、とあの子たちはわかってくれるんじゃないかと思っているのは、
親の勝手なご都合かもしれない。


よもやま  | コメント : 0  | トラックバック : 0 |

拍手コメント御礼

2012/09/10 23:15

実は。

2か月ほど前、息子のipodをうっかり洗濯してしまった。

・・・・・Σ( ̄⊥ ̄lll)・・・・・

部屋に脱ぎ散らかしてあったジーンズを勝手に持ってきて、ポケットを確かめずに洗濯機へ放り込んだワタシの落ち度…。

(|||_|||)ガビーン

致し方なく、ワタシが買い直すことに。ヽ(TдT)ノアーウ…

「( ̄ー ̄)そろそろ買い換えようと思ってたんだよね」と息子。
そりゃそーだ、もう6年くらい使ってるもんね。

あー、失敗した! 
けど、仕様がない!

というわけで、先日、夫と一緒にアキバで新しいipodを買ってきたようです。
ワタシからの援助(誕生日のプレゼントも込)+バイト代で。
それが、64GBのipodタッチ、なんだそうだ。
ワタシはタッチパネル苦手だけど、楽しそうに設定してます。

実は、電子レンジも現在休眠中。ってか、おだぶつしちゃったのよね、2週間前に。
寝室の電気も付け替えたし。

ああ。ものいりな夏だわ…。


以下【つづく】に拍手コメント御礼です。
お心当たりの方、どうぞ。



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拍手コメントお礼  | コメント : 0  | トラックバック : 0 |

辻村深月作品

2012/09/08 16:23

あれ、蝉が鳴いてない。と気付く昼下がり。

蝉が死んでるからそろそろ秋かと思ったけど、まだ夏だね~と同僚が言ったのは10日前のこと。
さすがに朝夕に秋の気配を感じるようになってきました。


最近小説にはまっていて、当たりくじをぼんぼん引いているように面白い。
ちょこちょこと図書館で予約してきた本が、何故かこの時期に一斉に割り当たったようで、
さあ、読め!
と言わんばかりに「リクエスト本ご用意できました」とメールが送られてくる。

図書館の蔵書をネットで検索でき、更に予約までできるというのはありがたく、
ワタシは多いに活用させていただいている。

昨年、読了数の目標達成に励んでいたとき、オトモダチのススメでネットの読書管理ツールを利用した。
それまで別なモノを使ってはいたのだけれど、読了数をカウントするには教えていただいたツールの方が便利だったので早速乗り換えた。
当初、ワタシは自分の本棚(というか、読了数だけ)にしか興味がなかったのだが、ふとしたきっかけで他人様のレビューを読むようになった。

このレビュー、基本が500字。
これが大変使いやすいのだな。読むのにも書くのにも大変都合が宜しい。
コメント欄を利用して更に続きを書くことも可能ではあるものの、
あらすじにしても感想にしてもだらだらと書いていたのではあっというまに規定字数に達してしまう。
他人の興味を惹きながらも如何に言いたいことを書き込めるか、というのが勝負なわけだ。

いや、別に勝負しなくてもいいし(てかする必要ないし)、自分の覚え書きとして使えばそれでいいんだけどね。
(笑)

一言で済ます方も多い中、とても上手な方がいらして、それを読むのがとても楽しみになってしまった。
ワタシ、良く申しますが、
「好きな事を語っている人の話は面白い」ってヤツですよね。^^
で、面白そうなレビューを読んでは、本を予約していた。

何しろ、ワタシ未読の本がものすごくあるから。←当たり前
当然の事だけど、ものすごく本好きな方が揃っているため、ジャンルも多岐に渡っているのだな。
誰、それ~??? とか そんなタイトル全然知らん! とかとにかくいっぱい。

ホント、どんなペースで読んでんねん!? ってな方が多いこと、多いこと。
世の中、本好きな人っていっぱいいるよねぇ。尊敬する、うん。

てなわけで、好きな作家さんばっか読むワタシには珍しく、あっちこっちに手を出していたんだな~♪
いやこれが、当たりだったのが多いのよさ。

中でも最近ハマっているのが、辻村深月さん。
この2012年7月に147回直木賞を受賞されたので、皆さんご存知かと思いますが、ワタシ未読だったもので。

 辻村深月(つじむら・みづき)
  1980年2月29日生まれ、2012年現在32歳。
  2004年「冷たい校舎の時は止まる」で第31回メフィスト賞を受賞しデビュー。
   →wikipediaはこちら

基本、ミステリー作家さん、なのかな?
ワタシ、ミステリーあまり読まないものでよく分からなくて申し訳ない。

ワタシが読んだのは以下4作。
 『凍りのくじら』(講談社/2005年)
 『ぼくのメジャースプーン』(講談社/2006年)
 『名前探しの放課後』(講談社/2010年)
 『ツナグ』(新潮社/2010年)

心の揺れる様を描くのが大変に巧み。
特に、思春期の子の心理描写は見事。
人の悪意から目を逸らさず、その存在を肯定しつつも、そこには必ず光が織り込まている。
題材によっては、かなりグロいなと感じる描写がないわけではないが、
彼女の作品は、読んだ限りでは基本ハッピーエンドだ。

ミステリーに分類されるんじゃないかと思うけど、大きな謎解きを主目的としているのではないのだろう。
うわーーー、しまったーーー! やられたーー! こういう作家さんだったよ!
と、毎回、最後になって歯噛みして悔しがるのはワタシだ。(笑)

途中、ひっかかりを覚えながらも読み進んでしまった箇所は、大抵、やられる。
ストーリー展開の方が気になって、多少の疑問を覚えつつも読み飛ばしちゃうんだよねー。
うん、毎回やられるんだ。

で。
毎回、泣くの。

ワタシは、かなり涙腺は弱い方だと思う。
家族の中でワタシひとりが泣いている映画、なんてのは数限りなく。
とはいえ、泣く小説は多くないんだが。
毎回、泣かされるの。

で。
その後、やられた事に気が付いて、悔しがる。

もう、毎作このパターン。

繊細に綴られた物語と、そこに織り込まれた光の確かさ。
それを描き出す透明な文章。

辻村さんの魅力はそこじゃないかな、と思っている。

それから、作品間の登場人物たちが少しずつリンクしているのも面白い。
スピンアウトとは違っていて、物語世界が僅かずつ重なり合っているのだ。
だから、もしかすると発表順に読んだ方がいいかもしれない。

是非、読んでみて。

そうそう。『凍りのくじら』はドラえもん好きな人が読むと、より一層楽しめるかも。

ちなみに、『ツナグ』はこの秋、映画化されます。
 映画『ツナグ』 HP

 うほほほ。そうなのだよ。エンケンさまが出るのだよ。^^
 試写会、はずれちゃったのはとおおおおおっても残念だけど、楽しみ♪




凍りのくじら (講談社文庫)凍りのくじら (講談社文庫)
(2008/11/14)
辻村 深月

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ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)
(2009/04/15)
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名前探しの放課後(上) (講談社文庫)名前探しの放課後(上) (講談社文庫)
(2010/09/15)
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名前探しの放課後(下) (講談社文庫)名前探しの放課後(下) (講談社文庫)
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ツナグ (新潮文庫)ツナグ (新潮文庫)
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清盛くん、50歳かぁ

2012/09/07 16:26

テレビを買い換えた。

というか。
仕事から帰ってきたら、テレビが薄くてでっかくなっていた、のだ。

(笑)

ようやく我が家にも液晶画面の薄型テレビというものがやって来た。
32型とか言っていたような。(昨今のテレビ事情からみれば、あまり大きくはない)

以前のブラウン管テレビは、セピア色2割増というか、青みが強かった(←調整不可)ので、画面全体が暗い感じだった。それが、すっかり明るくなっちゃって! ちょっとピンクが強い気がするんだけど、まあ、良かろう。

でも、テレビがキレイになったからって、画面が全部美しくなるワケじゃないのね。
期待したほどの差は感じない。のは、単にワタシの審美眼がよろしくないせいなのかもしれない。

で。
『平清盛』を見たら、何だか別物のように、重厚さが○割減したような気がした。
うん。前の画面の方が良かったかもしれん。
(苦笑)

この2回ほど、今いち、に、さん、不調な大河。
(33回「清盛、五十の宴」34回「白河院の伝言」)
(その前が不調でなかったというわけではなくはない…^^;)

致し方ない、のだろうか。平清盛が50歳に見えんがな。
ワタシが40代だから、それより年長に見えんということであって、
ワカモノ達には、ちゃんと50歳に見えているのかもしれない。

時子ちゃんは、綺麗なおべべを着ていたんだね。
もっと地味な色合いに見えていたので、余計に若々しく感じる。
あんなでかい息子がいるような年齢には見えないなぁ。若妻みたいでカワイイ。

聖子ちゃんは、びっくりしたよ。うん、びっくりした。
年齢不詳。(←失礼ながら、若く見えるってこっちゃないです…)
よーかい的な貫禄をお持ちですな、あの方は。^^;

回想で出てきただけですけど、中井貴一さん、いいですよねー。
やっぱ時代劇限定だけど。(笑)
確かにお顔は50歳ですけど、若いときの青臭さが見事で。
忠盛とーちゃんは格好良かったし。

エンケンさまは、まだ、人の良い田舎侍って感じで、これからどーなることか楽しみなところ。

真面目に言えば。
清盛が何を目指しているのか、その為に何をしたいのか、さっぱりわからんのです。
武士の世だとか、政の頂だとか、言葉では理解できるんだけど、何か薄っぺらな感じがしちゃうのは何故?
アイデンティティの確立に大分時間を割いていたけど、そこからの気持ちの繋がりが今ひとつ弱い。
第1部で泣いて騒いでいた印象は強いけど、その後は、玉木義朝の栄枯盛衰の方が…。
マツケンが悪いわけじゃないと思うし、おお、と見惚れちゃう場面がないわけじゃないんだけど。
ワクワク感とか結構あったのになぁ、どうも清盛に寄り添えないんだよね。
(ワタシの好みの問題じゃないと思うんだけど)

うーん。今後に期待しよう。
来週から、坊主だしな。

『平清盛』感想  | コメント : 0  | トラックバック : 0 |

遠くを見たり。近くを見たり。

2012/09/01 21:41

遠近両用眼鏡を作りました!
快適でーす♪

ワタシは若い頃から結構な近視で、眼鏡がないと人の顔に目や鼻がついていることさえよくわからなかったりします。
左が1.0程度、右は0.04を切る程度で、多少の乱視もあり。(今は更に悪くなった)
ガチャ目なんですよ。(左右のレンズの暑さの違いは誰にでもわかります)
その為、眼鏡を作る際には左を多少弱くして調節することが多いんです。

本来、コンタクトの方が向いているんですよね。
コンタクトならぴったり合わせられるので、かなり遠くまではっきり見えます。
コンタクトにした晩(大学生の頃)、自宅の庭で見上げた空にある満天の星に驚きの声をあげたくらいに。
うん、あの時の感激は未だに忘れられません。

それも長男の出産を機に眼鏡に戻し、それ以来ずっと眼鏡です。
一度コンタクトに戻そうとしたんですが、目やに等の汚れが酷くて諦めました。

が、ここ数年老眼が進みまして、眼鏡を掛けたまま手許を見るのが結構きつくなってました。
なんていいますかね。
遠くも見えない。でも、手許も見えにくいという、使えない眼鏡になり果てていたわけです。

そこで、部活で眼鏡を壊してしまった次男と一緒に、眼鏡を新しく作り替える決心をいたしました。
昨年、夫が中近用眼鏡と遠距離用眼鏡を作りまして、使いやすいとかなり喜んでおりましたので、
ワタシもそれに倣おうかと考えた次第。

が、がががが。
相談の結果、ワタシは遠近両用を作るのが良いのではないかという結論に相成ったわけです。

まだ老眼は軽いので、「慣れる」ためにはよい機会であること。
仕事で、近くと遠くをちょこちょこ見比べる機会が多いということ。

わかっちゃいますが、実はちょっとショックではありましたよ。
なんか、急に年寄りじみてるよーな、老け込んだような気がしちゃいましてね。
それに、作ったはいいけど慣れなかったらどーしよー? みたいな不安もありました。

でもね。
杞憂でしたよ。

いや、快適です。

ある程度の幅が必要との事で、選べるフレームは制限されちゃいましたけど、
もともと、ワタシのはお洒落なフレームではなかったので、気に入ったものを選べました。

ふっふっふ。
これで第3章はばっちり見えますよ~。←それかいっ。って思いました?w
手許の本を読むときは身体と並行ではなくて、90°にするってのもすぐに慣れました。
階段を下りる時は、まだちょっと注意が必要ですけどね(遠近感がそれぞれでちょっと違うんです)。

ああ。
世界が明るい♪^^

ただ昨日から少々の頭痛に悩まされていますが、原因が眼鏡にあるのか、ワタシの体調管理にあるのかは不明。
様子を見ているところではあります。

今まで全く眼鏡を使っていなかった方は、老眼鏡を作ることに大分抵抗があるようですよね。
夫も、職場の上司もそうでしたし、その気持ちはワタシにもわかります。
でもね、もし迷っている方がいらっしゃいましたら。
見えにくいな、と思ってる方がいらっしゃいましたら。
是非試してみてくださいな。
ホント、楽ちんになりますよ。

ま、鏡の中の自分の顔とか、あまりはっきり見たくないものもないわけじゃないですけどね。
(苦笑)

よもやま  | コメント : 0  | トラックバック : 0 |