智恵子抄

2016/04/13 00:52

2199で古代守が親友に手渡した詩集は、中原中也だった。
思春期に詩を読んだ時期があったけれど、中原中也はよくわかりませんでした。
高村光太郎の智恵子抄、特にレモン哀歌が好きだったんですけど…
なんて話をしたことがありましたが。

オトモダチがお芝居をやっているので、その舞台を見に行きました。
それが智恵子抄だったのでした。




智恵子抄は好きだったんですが、全編通して読んだ事はなかったような…
あったのかもしれませんが、すっかり忘れ果ててました。
なので、高村光太郎と智恵子がどんな生涯を送ったのが知りませんでした。
知っているのは、晩年の智恵子が心を病んだということだけです。

高村光太郎の詩では「道程」が有名ですが、
私がこれを知ったのはなんとエースを狙え!のワンシーンです。

僕の前に道はない。
僕の後ろの道はできる。
ああ、自然よ。
父よ。

と、ここまではすらっと出てきますが、そうか、高村光太郎の父親って彫刻家だったんですね。
そうか、偉大な父ってこういうことだったのか~と初めて納得。

籍を入れない新しい形の結婚の実現ね。
うーん、内縁関係って江戸時代とかそれなりにあったんじゃないのかな。
そういうことじゃなくて、制度というか世間に正面から立ち向かったってことなんだろうけど、
智恵子と光太郎の立場で、そこ、そんなに大事かな???

裕福な実家を頼ることなく極貧の生活を続ける二人なんだけど、
体を壊しちゃ実家で静養してるって、やっぱり十分実家を頼ってるんじゃないのかなと思いつつも、
ふたりなりのけじめってモノがあったんだろうな、とは思う。

智恵子が絵を描いていたということは、実は全く知らなかった。
このお芝居では、智恵子に色覚異常があり、その絶望が統合失調症の引き金となったように描かれていた。

なんというか、ふたりとも芸術というモノに真摯に向かい合っていたんだろうけど、
なんか、大事な事を見ないふりしたまま窮乏生活を続けることで自己満足してたんと違うか、
と思えて、最初は感情移入できなかったんだよね。
それに、あの頃の詩の表現というか、あれが言葉を取り繕わない心の表現なのかもしれないけど、
今の私から見るとどうにも痛々しいというか、
ナンなんだこれは…みたいな、ね。^^;

ワタシ、恋愛小説って苦手でね…^^;
そうか、智恵子抄が好きだと思っていたけど、実は結構苦手分野だったんだな、これ…と今更ながらに気付くワタシ。

とぱあず色の香気が立つ。
ってこの一文が好きだったんだけどね。
智恵子が好きだ、以外に言うことはないのか、光太郎!みたいな気がしてきちゃって…

でもね、智恵子って福島の二本松の出身だったんだねぇ。
この時代、冷遇されていたんだろうかと思ってみたりする。
といっても、女学校を卒業後、日本女子大に進学したんだから優秀だったんだろうけど。

詩の朗読とふたりの生涯が交互に現れ、
わ、わかった、わかったからもういいよ、とちょっと引き気味に見ていたんだけど、
心の叫びってのは人を惹き付けるものなんだねぇ。
新宿三丁目の交差点でストリップ始めたら見ちゃうもんねぇ…(違うか?(^w^)
(↑これはディスっているわけではなく、そういう潔さって大事なんだなというか…褒めてるのよ)

終盤になると周りの人も随分泣いていた。
イタイはずの光太郎がとても哀れに見えた。

十和田湖畔の智恵子像の存在は知っていたけど、
地元の地域興しか何かで製作されたんだと思っていた。
まさか、光太郎が造ったとは思わなかった。

最後まで終わってみると、やっぱりワタシの苦手分野の物語だったけど、
きっとこれは後々までも愛されて、語り継がれていくんだろうな、と思えた。

あの独特な雰囲気が苦手でお芝居って敬遠しがちなんだけど、
人が表現するってすごいんだな、と改めて思う。

テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

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