『龍馬伝』no.21感想

2010/05/24 08:31

『龍馬伝』no.21 故郷の友よ 2010.05.23放映

冒頭、「間違ったことをしていないのに、どうして切腹しなければいけないのか、私にはどうしても理解できない」と兄・平井収次郎、切腹への加尾の手紙から始まります。
これが、この回の全てだったのではないでしょうか。
歴史のうねりに否応なく巻き込まれていく人のさだめ。その重さと軽さ。己れのすべきことと感情。未来を支える命と現在失われて行く命。
いつの時代にあっても割り切れない、解決することのできない問題を、解決できないままにとりあげた回だったと思います。

最初のシーン、勝塾では何をやっていたんでしょうね? 運動会みたいでしたけど。
そうそう、勝塾と言えば。最初に「勝の海軍」が出てきた時に、船上を船員が走っていたんですけどね。あれ、如何にも軍隊の走り方で、妙に浮いて見えたのは私だけでしょーか。あの時代に、腰に手をあてて「たったったった」って走るのかなー? まあ、時代劇の走り方が史実だったのかどうか私は知らないし、単に「時代劇っぽくない」と感じただけかもしれませんが。
ま、いいです。

あの運動会のシーンには、国へ帰って行った土佐藩士への思いがかぶりますが、大泉洋演じる長次郎の表情がとても印象的でした。
長次郎、後半では龍馬に説教もしてますしね。

武市や以蔵を救いたい龍馬は、あちこちに掛け合ったり探したり、どうにかしようと動き回りますが、結局どうにもできはしません。のし掛かる命の重さは誰にとっても同じだと思いますが、動き回ることで、叫ぶことで何かを解決しようとする龍馬と、それ以上の犠牲を出すまいと画策する勝と、全てを背負って「武士ならば覚悟していたはず」と言い切る長次郎と。叫んで走り回るだけが受け取り方じゃない、と思うわけです。(やっぱ、熱血主人公は苦手なんだな、私は・笑)長次郎、男だねぇ。格好良かったです。

龍馬のように、どうにかしたいとがむしゃらに動く。それが功を奏する時もあるし、およそその方が人間らしい(と見える)。周りの人間は惹かれるのもわかる。けど、それだけが受け止め方ではなかろうと思う。かといって取り乱さないことがカッコイイと思っているわけじゃない。己れの志を支柱にして、みながそれぞれに精一杯に生きている。ただ、私は、理不尽さえも呑み込んで何かを為そうとする心意気に惹かれる、のでした。

8月18日の政変は、しっかり取り上げられていましたね。これが、薩長の戦いの発端だと。
山中の行軍は、結構惨めさ悔しさが出ていて、なかなか良かったと思います。

そして、この回の一番の見所は、やはり武市と冨の別れのシーンでしょうが。
その前に、弥太郎との邂逅もあったのでした。

弥太郎、鳥篭を背負って現れた時には、「おまけ」に鳥篭つけてるんじゃあるまいな! と本気で考えてしましました(笑)。実際には、弥太郎の彫った仏さまでしたけど。まあ、売れないでしょうね。ですが、最終的には「修繕は受け持つ」というおまけ付きで材木を売り切ったのは見事でした。

その弥太郎と武市ですが。
「お前見たいな人間がいてもいい」と言う武市と。
「ならば、もっと正直に生きたらいい」と武市を揺さぶる弥太郎。
互いを認めつつの、けれど、重なることのないふたりの志を露わにして、たぶん、これが最期なんでしょうね。

さて。武市と妻・冨の別れのシーンですが。
泣かせにくるとわかってたのに、泣きました。
捕縛の声がまるで聞こえていないかのように。朝餉をとりつつ、話をするふたり。
 「夏には、桂浜へ行こう。秋になったら、紅葉狩り。冬になったら――」
 「どこにもいかずに、ここでふたりで過ごしたい」
 「――そんなら、そうしよう」
って、思い出しても泣けるぞ。
 「冨。ちくと出かけてくるけん」
 「行ってらっしゃいませ」
うん。このふたりらしい、別れだったと思う。
人の命を背負う、っていうのはどれ程の重さなんだろう、と私はまた考えてしまうのだった。

文久3年9月21日、武市投獄。

この後うつった、最後の容堂公のすっとぼけた表情は上手かったっすねえ。さすがです。

ところで、以蔵を探して追いかけていたのって、もしかして新撰組? 浅葱色の羽織だったよね? だんだら模様はなかったように見えたけど。

次回「お龍という女」龍馬とお龍の出逢いですな。

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テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

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