巨星墜つ

2010/11/08 01:23

既に皆さんお聞き及びかと思いますが、西崎プロディーサーがお亡くなりになられたそうです。

 「宇宙戦艦ヤマト」プロデューサー、西崎弘文さんが船から転落死 (産経ニュース)

今日は夕方から演奏会に行っていました。「新月の館」オーナー綾乃さんと「響鬼を語ろう」の77maru77さんとご一緒させていただいていたわけです。(ありがとうございました<(_ _)>)このメンツの共通点は「合唱」です。とても素敵な演奏会だったのですよ。

演奏会終了後の事です。路上で携帯が鳴りました。
「これ…」
携帯の画面には、西崎さんのニュースが。
「うそっ…」
3人が共に言葉を失い。路上に立ち尽くすしかなかった。

私が西崎さんと直接お会いしたのは、あの『復活篇』の試写会だけです。
もちろん、舞台の上と観客席。言葉を交わしたわけでも、個別認識されたわけでもありません。

「ああ、この人がヤマトを産んだ人なのか」
その感激だけがありました。

初めて拝見した西崎さんは、とても父と同じ世代の人とは思えない位で、おじいさんと云う印象でした。

私のヤマト歴は、先日のblogに書いた通りです。
ヤマト熱はずっと心の中に仕舞っておいたと言うこともあり、情報を得るという努力をほとんどしていませんでした。それでも、一連の続編に批判の声が浴びせられていたことを聞いてはいました。

でも、私は西崎さんのこと、嫌いじゃなかったんです。
だって、この人がいたからこそヤマトが生まれたのでしょう?
私は高校生の頃、てっきり松本さんが原作者であり、それを西崎さんが映画かしたんだと思い込んでいました。ホントはパンフレットをちゃんと読めばわかるんですけどね。思い込みって恐ろしい…^^;
でも、著作権のゴタゴタがあったときにやっと情報を得たのです。

ああ。ヤマトとはこの人の想いから生まれてきた作品なんだ。
その時にそう認識し、それは今も変わりません。

勿論、「宇宙戦艦ヤマト」という作品はたった一人の人間が作り上げたものではありません。
それは『復活篇』を世に出そうとするたくさんの人を現在の私の目でみつつ、強く思った次第です。
たくさん熱い想いで世に出そうとし、でも実際には純粋にそれだけじゃなくて、利害関係もあって。
一つの作品というのは、色々な側面を持っているのだと実感したわけです。(今頃ですが…^^;)

クリエイターとして。
そういう側面もあるでしょう。ですが、私にはその良し悪しはよく分からないのです。
噂はイロイロと聞きました。でも、一度も会ったことも、話したこともない人です。話を教えてくれた(書き込んだ)人が彼をどう思っているのかはわかっても、それは私の感情ではありませんし。
作品の良し悪しを客観的に評価できない私に(←これは謙遜ではなく、事実です)、西崎さんを評価するなんて事はできませんでした。

「ヤマトを生み出した人」

私にとって、彼はそれだけの人です。それ以上でも、それ以下でもありません。

そして、自分から何かにコンタクトをとろうとはしていない、唯の1ファンにしか過ぎない私には、試写会のあの舞台の上の姿を見、彼はヤマトを愛しているんだなぁ、とそれだけが分かった事実なわけです。

もうウン十年も前のあの事件を起こしたり、この年になって聞こえてくれるあれこれを総括すると、やはり彼を全面肯定することはできません。ですが、私には罵ることもできない。

彼の想いがヤマトという形になり、新しい作品を生みだしてきた。

この『復活篇』と『実写版』を機に、たくさんの人がカミングアウトしているように思えます。
「俺、ヤマトが好きなんだよ(←過去形ではなく)」って。

ほら、こんなにたくさんの人がヤマトを好きだったんじゃない。好きなんじゃない。

 ヤマトを見て、宇宙に憧れました。
 アニメの仕事を志したんです。
 映画を作りたいと思ったんですよ。
 ヤマトの音楽で、音楽の世界を目指しました。

そんな人が、いっぱいいた。

西崎さんが「ヤマト」を生み出してくれたからこそ、今の私があるんです。

ナンの力もないだたの1ファンに、何ができるんでしょう。
「涙を流して、偲べばいいんだよ」
と答えが返ってきました。

今の私にできることは。

西崎さん、ありがとう。感謝しています。
ご冥福を、心からお祈り致します。


よもやま  | コメント : 0  | トラックバック : 0 |

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