『龍馬伝』no.45感想

2010/11/09 12:07

『龍馬伝』no.45 龍馬の休日 2010.11.07放送

「RyOMAN HOLIDAY」(命名tate様)面白かった!
先週に引き続きヒロイン関係だったのでどうなることかと思っていましたが、そんなこと無かったですね。武市と冨の別れとはまた違った、そしてある意味では共通の想いが描かれていたのではないかと思います。

で、おりょうさん関係は後にしまして、まずは歴史回天組の3点から。

・岩崎弥太郎
・大久保利通
・山内容堂&後藤象二郎

*岩崎弥太郎。
 龍馬や後藤に振り回されて、己れの商売をするよりも尻拭い感の強かったこれまで。
 全開「お前は疫病神だ。消えてしまえ」と、弥太郎に云われたのは、さすがに龍馬の中に突き刺さったままのようです。それでも、もう後戻りのできない龍馬と、己れの道を進もうとする弥太郎に決別は必至です。
 新型ミニエー銃で商売をしようとしていた矢先、土佐商会の主任の交代劇。イカルス号の責任をとらされたということのようですね。上士である佐々木高行に「所詮地下浪人(じげろうにん)」と蔑まれ、離別の決意をします。「生き馬の目を抜く時代に上士下士と拘っているようなもんには商売はできん」と豪語。何時だって云いたいことを云っているような弥太郎ですが、前回の龍馬への離別宣言と今回のは凄みがありました。
 鳥篭を売って生計を立ててきた弥太郎が、その鳥篭を握りつぶすシーン。
 様々なモノへの決別を、見事に現していたんではないでしょうか。
 でも、9千丁の銃を元手にしようとする辺りは、弥太郎らしいですね。自分のカンパニーの元手がこれですか?(笑)まあ、それくらいの働きはしているとは思いますけどね。
 
*大久保利通
 この人、龍馬にとっても冷たい。それを及川ミッチーが大変上手く演じています。
 龍馬に龍馬の信念があるように、大久保には大久保の信念がある。
 作中、三吉が「私は坂本さんが大好きです。ですが、その前に長州藩士なのです」というシーンがありました。これは「だから、あなた(おりょう)だけは坂本さんを信じていてください」と繋がるのですが、今回は「その前に○○藩士」という男達の立場をあちらこちらで訴えていたように思います。私的には、これが龍馬暗殺黒幕への伏線としか描かれないのは些か不満ですが(笑)、この立場と関係性の複雑さが、私は幕末という時代の魅力だと思っています。勧善懲悪では絶対に描くことのできない時代。何が正義で、何が悪なのか。戦いとは何か。平和とは何か。何かを為そうとする時に、常に突きつけられている時代において、龍馬のように「自由」な人間は確かに目障りだったんでしょう。藩を背負っていない龍馬には守らなければならないものがありませんからね。
 龍馬と関わった人間は、どんなに立場を異にしようとも、まず龍馬に惹かれている。多くの「龍馬」の物語ではそう描かれているし、実際そうだったのかもしれません。司馬さん云う処の「人たらし」という性分でしょうか。ですが、この大久保は冷たい目で龍馬を見るだけです。「あれは危険人物だ」と。時代の根底を変えようと目論んでいる龍馬への評価は、それが一番正しいんじゃないかと思いますよ。武士がなくなる、ということを他の皆さんはどう考えているのやら? と思っちゃいますもん。
 
*山内容堂&後藤象二郎
 番組最後にあった龍馬と後藤のワンシーン。
 「大殿様に会わせてつかわさい」
 ギョロリとした眼を光らせて、グッと顔を近づける後藤。
 「――やるかい?」

 いやー。格好良かったですよ、後藤くん。やられたーーーーって思いました。
 今までのあのぐにゃぐにゃ後藤の影なんて微塵もありません。青木崇高さん、上手いですね。
 おじ・吉田東洋の権勢につかっていた甘ちゃん侍が、土佐のため、日本のため、漢になった。見事な成長振りでした。来週の容堂との会見が、今からとても楽しみです。

 で、容堂公、虫歯は治ったんですね?(笑) 今日は無花果食べてました。
 「土佐の大殿様は鯨が海の水を飲むように、酒を呑むそうじゃ」と龍馬がおりょうに語った通り。鯨酔公のふたつ名をもつお殿様ですからね。この近藤正臣さんもさすがですよねー。ほとんど台詞もなく、酒を呑んでいるか、クワガタで遊んでいるかだった容堂公の心境を、見事に演じられていた数か月でした。私、容堂公が出てくる度に惹きつけられてましたから。

 青木崇高さんのインタビューです。「後藤象二郎の正義」(『龍馬伝』HPより)
 *ちょろっとネタバレ? 含むような…


さてさて。
*今週の本題(今頃かい、とつっこまないで~)龍馬とおりょう。
 ふううううううん。ピストルねええええ。そういう手があったか! とにやりとしてしまいましたわいな(笑)

 龍馬はやっと土佐の実家へ嫁をもらったと報告します。
 久しぶりの、相変わらずの坂本家。
 「しかる家柄の嫁でなくてはいかん」と憤慨する権平を女達が次々といなします。
 このコミカルさが、坂本家の明るさを象徴します。「家/家族」の一つの理想型を描いているのでしょう。女が元気な家は、大抵強いですからね。
 ですから、その分、あの乙女姉の龍馬への愛情は、私には過分すぎて正直引きます。おりょうへの手紙も、げっ、と思いました。おりょうさんは嬉しく読んでいたようですが、私ならあの手紙をもらった実家へはご挨拶だけしてお暇したいですな。

 3か月ぶりの逢瀬のふたりでしたが、子どもやら三吉やら奇兵隊やら、邪魔ばかり入ります。それでも「一緒に風呂へ入ろう」などと女ったらしな台詞で期待を持たせるだけ持たせておいて、朝帰りの龍馬。
 ――間違いなく「一生の不覚」ですわなあ(笑)
 ピストル突きつけられて、横っ面を張られてても、一言も文句言える立場じゃありません。
 お船が一日遅れてよかったねえ。

 このおりょうさん、とても綺麗でしたね。
 ふとしたカットや紅葉を並べる姿、怒った横顔。どれも綺麗でした。

 夫婦の有り様を考えていました。
 私は、守る男と守られる女という構図が好きでなく、昨今の戦う女性像というのにも何か違和感を感じつつ。
 ふと。「何があっても最後まで信じてくれる」と信じているからこそ、夫は妻を守るのかもしれませんね。
 人間、結局はひとりで生きていくモノです。ですが、ひとりぼっちは淋しい。人間とはそういう生き物なのでしょう。誰かの温もりが欲しい。それは触れられる温もりだったり、信じる心持ちだったりと、必要とされるものはその時々で変化するにしても。
 武市と冨の夫婦愛もとても美しく描かれていました。冨に比べれば破天荒なおりょうではありますが、それでも夫婦を繋ぐものは同じ。形が違うだけです。

 睦言のシーンもとても綺麗でした。
 海を歩くふたりに、子どもの名前を考える会話を被せたり、龍馬の決意をふと口にしてみたり。

 「待っちょれよ、おりょう! すぐに戻ってくるきに!」
 ありきたりではありますが、最後の別れの言葉になりました。
 クライマックスに一回分を使っての別れを描くのも、これならアリだな、と思える回だったと私は思います。

 が。ここでとっても気に入らなかったのは、龍馬紀行。
 横須賀が出てきたので不思議に思っていたのですが、おりょうはここで最期を迎えたんですね。
 66歳で亡くなっています。

 「おりょうま龍馬の永遠の妻だったのです」とナレーションは締めくくった。
 これが嫌。
 おりょうは一度坂本家に住んだものの3か月で去っています。そして35歳で再婚。それも最後は上手く行かなかったようです。

 冨は武市を慕う隊士達に支えれ、夫を偲びながら静かな人生(ってかなり長いけどね)を送ったようです。それはそれで、とても美しいと思うし、ひとつの理想型だとは想いますけど、それだけが人生じゃないと思うんですよね。いいじゃないですか、再婚したって、永遠の妻じゃなくったって。

 龍馬との手紙をふたりだけのものにしておきたいと云って、土佐を出るときに手紙を燃やしてしまったというおりょう。彼女には彼女の覚悟があったはずで、龍馬のいない人生を龍馬に縛られない生き方をしたっていいじゃん、とついムキにになってしまうのは何故だろう。それが、最後の最後にいたく気に入らなかったです。

 ***
 前回のお元との別れは、龍馬と彼女の関係や隠れキリシタンという設定が生かし切れていなかった。キリシタンでさえも笑顔で暮らせる国にしよう、とするのはいかがかなものかと。信仰の自由と封建制の破壊を同列に並べるには、無理があったと思われます。蒼井優ちゃんの演技がよかっただけに、大変勿体なかったと思いますね。
 それとは逆に、おりょうとの関係は最後に収まるべき処へ収まったという感があり、大変良かったと思います。

 次回。「土佐の大勝負」、楽しみです!

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テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

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