『龍馬伝』no.47感想

2010/11/22 13:09

『龍馬伝』no.47 大政奉還 2010.11.21放送

最終回一つ前にしちゃ地味じゃありませんでした? いえ、面白くないと言っているわけではないんですよん。

大政奉還が成るか成らぬか、勝負の時。
関わった者達が、みな、息をのんで二条城を見つめている。
そんな雰囲気を丁寧になぞっていました。

これは、大政奉還=龍馬の夢だったからなんでしょう。

そう、なのかなぁ?

ととっても疑問に思うので、まずはストーリーをなぞりましょう(^^)。

山内容堂より大政奉還の建白書が提出される。
それを受け、二条城にて、苦悩する徳川慶喜。
大政奉還は、愚策か得策か。
慶喜の頭の中にあるのは、たぶん「徳川家の存続」なんでしょう。

もう後藤にも何もできない。できるのは「待つことだけ」。
龍馬は、そんな後藤を脅迫。
「「慶喜公が大政奉還しないのなら、海援隊を引き連れ、慶喜を討つ。上様ひとりの命で救われるなら、それもまた厭わない」

ええと。まずは、ひとつ言いたい。どうしても、言いたい。
この『龍馬伝』の価値観は、幕末と現代を行ったり来たりする。それはとても危険な表現じゃないか?
武士、という身分に与えられたもの。「斬る」ということに対する価値観が、あの時代と現代を行ったり来たり。

渦中の武士ひとりが切腹すればおとがめ無し、というのは命を粗末に扱っているわけではなくて、あの時代の責任の取り方だった。そういう責任の取り方ができるのは、武士だけだった。町人が腹を切ることはできないし、今なら「誰かが責任をとって自殺したから」ってその後の捜査がなくなるわけでも、罪がなくなるわけでもないでしょう? あの時代は、それで沙汰が止んだのだから。きれい事ばかりを言うつもりはないけれど、どうしても気になる。「死を以て償う」というのは、感情論でもお涙頂戴でもなかったはず。それを「仲間に迷惑かけないため」とか「殿様と心が通い合った証」にとか、現在のお涙頂戴みたいなやり方で切腹させておいて、こういう時だけあの時代の価値観をもってくるわけ?

「上様一人の命でこの国が…」って、今の価値観ならテロじゃん。こういう時だけ都合良く、幕末にもどるなよ。
『龍馬伝』の龍馬の台詞として、私はこれはNGだと思うぞ。

と言うことで、ストーリーに戻ります。

とうとう慶喜は決断できずに、諸般の重役を集め意見を聞きます。
「国元へ持ち帰り相談の後に…」と後込みするばかりの中、「100年200年後の姿を決める決断だ。日本の将来を第一に考えてのご英断を!!」と後藤象二郎が迫ります。が、結局は人払い。

永井玄蕃守の登場は、何やら唐突。あんた誰? 今まで何してたの? と言いたいぞ(笑)。

唐突なのは勝も同じ。
いきなり現れました、勝先生。
「幕府をなくすのは容易なことじゃねえ。2万(幕臣の数だね)の人間が役目を失う」
「そんなことはどうでもいいですろう。帝をてっぺんとした上も下もない世の中で、武士も仕事をしたらいい」と答える龍馬。

あの、龍馬さん。
あぶれた武士が反乱を起こすとか考えてないんですか? そうしたら、結局は内乱でっせ? 列強につけ込まれると思いませんのか??

大政奉還成就の報を受け。
「一人で成したわけじゃない。皆でやったことですきに。
 新しい日本の夜明けぜよーーー!」
と叫ぶ龍馬。ここは、素直に良かったね、と思ったよ(^^)。

で、その間の岩崎弥太郎。
戦が起こることを前提に、諸藩にミニエー銃を売りつけて大儲けしてます。
そこに「大政奉還」が。
「龍馬ならやるに違いない」「龍馬の底知れ無さ」と長崎商人達は口々に称えるわけですが、まー、長崎商人達の情報の速さってばさ。まじですか?(笑)

結局、大政奉還を信じた弥太郎はその前に銃を全て売りさばき、儲けます。
「また、負けた!」と弥太郎は龍馬を憎むばっかりですが、弥太郎の先見の明でもあるんですけどね。商機を読む力、というか。これじゃ、弥太郎ちゃんいつまでもいつまでも辛かろうにね。

この大政奉還、喜んだ者ばかりじゃなかった。
黒幕候補が、ずらりと顔を出しましたね。
一体、誰が黒幕やら。来週が楽しみです。

  ***

さて。こっから下は私の勝手な意見です。
最終回目前にしてケチをつけるようで、ものすごく申し訳ない気持ちがするんですが。まあ、いいか。

大政奉還は、龍馬の夢だった。のだろうか???

龍馬は、「誰もが笑って暮らせる国」を作りたかった。列国に蹂躙されることのない強い国=政府が必要だった。
内乱なんかしてる場合じゃなかろうよ。一致団結して、列強に対抗する術を考える事が最優先事項。そのためには、封建制という従来の組織ではいかん。新しい組織が必要だ。才ある者が身分に囚われているのは愚かなり。列強を見よ! あれに倣え!

――ってのが、この龍馬の考えじゃないかと思ってますが。
でも、それなら政治体制を作っただけでは不十分でしょう? 自分がその中枢に入らなければ、誰もが笑って暮らせる国を「造る」ことはできない。その部分を他人任せというのは、あまりにも無責任ではありませんか。

龍馬は、薩長という巨大勢力のどちらにも与していなかった。
それどころか、土佐藩さえ背負ってはいなかった。

薩長同盟という成しがたい事を成せた要因のひとつに、龍馬が自分の利益を度外視していたことが挙げられると思う。つまりこの時代の当然の価値観である己れの利益=土佐藩の利益という構図から外れていた。つまりは、龍馬は時勢の傍観者的な位置にいたのではないだろうか。それ故に、薩摩も長州も龍馬を信じた。もし、龍馬の背景に土佐藩があったのなら、勢力関係としてもっともっと複雑になっていたはず。

確かに自分が表に姿を現すことなく、薩長を掌で転がしてきたかもしれん。
でも、それは幕末という一時期にのみありえることであって、新政府が樹立した暁には、薩長閥が強固になることは当然の成り行きだろう。政治に参加せず、「誰もが笑って暮らせる国を造る」ことは不可能である。(だからこそ、倒幕に行き着いたわけだからして)

と考えれば、大政奉還は「誰もが笑って暮らせる国を造る」(くどくてすまんです(_ _;))を造るための一過程に過ぎない。倒幕後の青写真を持っているからこその、大政奉還じゃないのかなぁ?

たぶん、その青写真が来週出て来るんだろうけど。

他の誰もが持っていない、先を見通すことの出きる眼。
それが龍馬の最大の魅力だと思う。(『龍馬がゆく』の影響受け過ぎかも)

大政奉還が龍馬の夢だというのなら、「やるべきことはやった」という龍馬の台詞にも頷けるんだろうなぁ。
私は「できることは全てやった」だと思うんだけど。

「誰もが笑って暮らせる国」で龍馬は何がしたかったんだろう。
桂浜で、父に語ったように、乙女姉に語ったように、家族を連れて世界へ船出したい、のだとしたら。
やはり、大政奉還は一過程にしか過ぎないのだと思う。

ドラマの中でも、ええじゃないかの騒ぎの中新選組と対峙し、「大政奉還をしただけでは人々の暮らしはかわらん!」と叫んでいたよね。「新たな夢を持ちつつ凶刃に倒れる」って最終回への布石なんだろうけど。今頃なんですか??? と、私は思いっきり首を捻ってしまった。

徳川幕府から新政府へと政権が移譲されたとしても、それだけでは何も変わりはしないのだと気付くのが遅い。もっと早くに気付いていたはずだと私は思う。

この『龍馬伝』はとても人間くさい龍馬を描いてきたのだと思う。
飛び抜けた才能に恵まれ、飄々と幕末を駆け抜けた男ではなく、身分という縛りと列強という外圧の間で悩みに悩んで、みんなが楽しく暮らせる国でありたいと奔走した。
そんな龍馬が、凶刃に倒れる。

次週、最終回。「龍馬の魂」です。

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テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

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