努力と結果と報われたかという関係

2011/03/04 15:18

「入試投稿容疑 19歳逮捕」
今日の朝刊の一面TOPにそうあった。

「ほら、捕まったでしょ?」
子どもたちとそう話した。

ズルをして合格しようとするのはズルイ、という話ではなかった。

インターネットって匿名社会だけど、何をやっても何を言ってもばれないと思ったら大間違いだよ?
個人で相手を特定するのはたぶん不可能だと思うけれど(但し、相手のIPアドレス等を知っていれば特定できるだろうけれど、何かをやろうと思ったらそんなものが特定されるような莫迦な真似はしないだろうからできないだろうと考える)、こうして犯罪と認定され、間に警察という国家権力が入れば個人を特定することは可能なんだから。
社会を甘く見るんじゃないよ。

という話だったのよね、我が家では。

試験問題のカンニング、という事件そのものは言っちゃなんだが、珍しいことではないと思う。
モラルの低下は嘆かわしいと思わなくもないけど、それを根絶することはできないだろうし、「その試験に受かりさえすれば全てがバラ色」という背景がある以上、これからもなくなることはないと思う。

本当はね、「その試験にさえ受かっちゃえばバラ色」なんてことは幻想でしかないわけで。
「試験に通る」という事は、入試に限らずともその資格を持つに値する知識・技能を持っている、という証明の一種でしかないわけで、まやかしの証明ではいつかその化けの皮は剥がれる時がくる。分以上の見栄を張り続けるのは、もの凄く大変で、それだけでも「ズル」をした代償は大きいし、それが剥がれた時の代償はもっと大きいと思う。

もっとも、この事件が起きたとき、私が一番最初に気になったのは「どうやったんだろう?」だったのだから、そんなモラルの低い人間になんやかんやと言われるのは、心外だろうとは思うけど。

個人を責めてもあまり意味がないんじゃないかと思うわけだ。
彼なのか彼女なのか知らないけど、逮捕された以上、既に報いは受けている。これ以上の「みせしめ」は必要ないと私は思う。
ニュースでは名前は出ていないけれど、同級生にインタビューしているってことは、周囲の人間には人物特定されているってことでしょう。もう「なかったこと」にはならないわけで、本人も家族もそれを背負って生きて行かなきゃならない。それは当たり前なんだけど、それで充分じゃないのかとも思う。

それよりも、「入試に通ればバラ色」という事を、或いは「良い大学に入ることが何よりも大事」みたいな風潮をこの社会は是としていて、多少ズルしてでもそれを取得することで得る利益は大きいんだよなぁ、と大勢の人間が実は思っているってことを各人が考えた方がいいんじゃないだろうか。
口ではナンとでもいえるけど、私自身も含めて(というよりも、私自身が)実際にはそう考えているって部分がないわけではないわけよ。(くどい・笑)
うーん、つまりね。
上を目指すのは良いことだし、君はその為に努力もしてきたと思う。カンニングをしようとした子が、他の受験生よりも努力をしていないなんてことはないんじゃないのかな。甘いかな? でもって、カンニングをしてまで合格したいと思う気持ちはわからなくはないけど、そうして得た結果には「呪い」がかかってしまってそれを解くことは、たぶんできないんだよ。
それは大学が不合格になることよりも、もっともっと大きな取り返しの付かない損失なんだ、と私は思う。

努力をすれば報われる、なんて幻想だと私は思う。努力をした分報われたと思えるのは、才能と運に恵まれた人間の普通では為し得ない超努力の結果とかでね。
普通の人間は、努力をしても報われないことはたくさんあるよ。
もっとも、それは何をして「報われた」と感じるか、ってことに関係があるわけで。

実は、「勉強」ってのは「努力をすればしただけ報われる」ものだと思う。勉強して知識が減ることはないからね。勉強すればしただけ、同じテストを受ければ点数は上がるよ。でも「勉強した」からといって「合格する」わけじゃないよね。因果関係が違うからさ、この場合。

自分でやったことないからあまり大きな声じゃ言えないけど、「死ぬほど努力」したって「合格」できないことだってあるよ。
でも、それは「努力しても報われない」ってことと同義じゃないよね? 「合格」できなくても「報われる」ことはあるんじゃないかな。

ウチの息子はさ、おバカだからちっとも勉強なんかしてなくて、ラグビー一色の高校生活だったりするし、ラグビー初めてから体中傷だらけでね、夏なんて化膿して臭いくらい。傷が治るのは、試験前の部活停止期間だけ(笑)朝もはよから朝練して、土曜も日曜も練習で、長期休みも1,2日しかオフの日がないわけよ。でも、勝ち続けることはできないんだよねー(苦笑)。
仕方がないじゃん?
そこで何かしら策を弄して、ズルして勝っても、その勝利は「呪われている」わけでね、心から喜べないでしょう。

「努力」と「結果」と「報われたかどうか」ってことは、自分自身でケリをつけることだと思うんだよね。

大人はね、その「ズル」を見逃したり、是としたりしちゃいけないと思う。ただすべき処はたださないとね。
でも、みんなでそれを「みせしめ」にする必要はないんじゃない。
「ズル」をしたことで得た「傷」は、己れの自尊心を大きく損なうわけで、それ以上に得られる「利益」なんてないんだってことを、若者にきちんと伝えればいいんじゃないかと思う。

それにしても、自分の経験を考えると、「入試」会場でちまちまとケータイを打つなんてできっこないだろうから、何かしら技術があったんだろうねー。技術ってすごいねー。<違くない?

よもやま  | コメント : 0  | トラックバック : 0 |

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