悲恋が好きかも

2011/03/10 11:16

今まで恋愛小説というジャンルにほとんど手を出したことがない。

恋愛が嫌いなわけではない。
実際の処、私は惚れっぽい方だと思うし、擬似恋愛は得意だ(笑)。
奥手だったわけでもないし、「幼なじみ→恋人」「お兄ちゃん→恋人」なんてパターンは王道の憧れだったさ。

でも、激甘の恋愛小説や恋愛が主流の物語は苦手。ついでにどろどろ系は、全くダメ。
歴史ものやファンタジーに限らず、恋愛はスパイス的な要素に留まる方が面白いと思う。

とはいえ、「ラブコメの女王」と呼ばれる有川浩さんの物語は、キライじゃない。
言わずと知れた『図書館戦争』の著者さんですね。
『阪急電車』とか『植物図鑑』とか『レインツリーの国』とか『ラブコメ今昔』とか、40を過ぎたいいオバハンが「胸きゅん」しつつ楽しく読んだんですけどね。
でも自衛隊三部作みたいな、スパイス恋愛の方が私は好みなわけです。

で。好きな物語を思い返してみると、実は私は悲恋が好きなのか? とか思ったりしたわけです。

代表的なのが「風と共に去りぬ」
午前十時の映画祭」ぜってー見に行く! と思ったのは「風と共に去りぬ」がやってたから。映画館で見たことないんです。
高校生の時にテレビで見て(2週連続だった)、大感激。以来、一番好きな映画かも。南北戦争なんて時代背景は全然知らなくても(世界史苦手)、この「タラへ!」というスカーレットの意志にものすご心うたれたし、レッド・バトラーの男の色気にはくらくらした。でもっ。全然理解できなかったのが、スカーレットのアシュレイへの恋心。??????。だって、私にはアシュレイは優柔不断なダメ男の典型にしか見えず、そこに執着してレッドとの関係を崩していくスカーレットの気持ちは、一欠片も理解できなかった。あの頃は若かったのよね、と言いたいところですが、実は今でもよーわからんのです(笑)。

それから『喰人鬼の噴水』。
著者は立原えりかさん。これは中学の時に読んで、一番好きだった物語でした。
あの頃、ファンタジーなんて知らなかったので「童話」という区分だったように記憶しています。
これを今更読みたいという方はそうそういらっしゃらないと思いますので、以下ネタバレ含みます。

貧しいひとりぼっち(たぶん天涯孤独)の女の子が、ある日、醜い獣と出逢います。当然、それは呪いを駆けられた若者で、数百年の時をそうして生きている。だた一夜。満月の夜だけ、人間の若者に戻ることができるわけです。女の子は若者と恋をし、ふたりはこの呪いを解くために冒険をし、呪いを解く金の実を見つけたものの、雪崩に巻き込まれ別れ別れに。その後、女の子は現実の世界で家庭を持ち幸せに暮らします。年老いたある日、彼女はひとりで旅立ちます。遠い昔に、若者と再会を約束した場所へと。そこには、約束のフルートを持った若者が立っていて、2人は互いに目を交わしながらも、言葉を交わさずにすれ違っていく。

そういう物語で、内容はこう言っちゃなんですが、よくあるパターンなわけです。
でも、私がこれに特別ひっかかったのは、最後に別れてしまったからだと思うんです。
ハッピーエンドで終わったら、きっと忘れてしまったと思う。でも、そうじゃなかった。
中学生の私は「私なら、絶対あきらめない。他の男となんて結婚しない!」と思った。そうすれば、きっと自分はいつまでもファンタジーの世界の住人で在り続けられると思っていたんでしょう。けれど、作者はそうしなかった。夢は覚めるのですね。「ナルニア国ものがたり」もそうじゃないですか。4人の兄弟姉妹は、現実へ戻ってくるわけです。最近のファンタジー、或いはラノベの傾向はよく知りませんが、あの頃のファンタジーにはそういう「現実」があったのだと思います。夢の国で暮らし続けることはできない。異世界で何かを掴んだ少年少女は、必ず現実へと戻り、生きていくわけです。

児童文学での「補助者」が必ずいなくなり、主人公はひとりで歩き出さねばならないのと同じよう(例えば、「ひかるの碁」で補助者であった佐為はいなくなってしまうでしょう?)に、ファンタジーの世界にもそういう「暗黙のルール」があったのではないかと思います。

話がちょいとずれましたが、異世界の住人との恋は「悲恋」の典型ですわな。

異世界ではなくてもね、ハーロックもそうじゃないですか。「わが青春のアルカディア」のハーロックとマーヤ。トチローとエメラルダス。
これは、互いの気持ちが離れていなくても、添い遂げられない「悲恋」の典型ですよね。

というわけで、並べてみると「悲恋」が好きなのかも、と思ったりするわけです。

ヤマトではどーでしょー。
悲恋と言えば思い浮かぶのは、スターシャ&守にーちゃん、テレサ&島くん、ルダ&揚羽くん、かな。

スターシャ&守にーちゃん、はナンか分かる気がする。
スターシャという存在は、この一時があるために純粋な女神的存在ではなくなるわけで、私はスターシャを「慈愛の女神」と呼ぶことにとても抵抗がある。彼女が地球に手を差し伸べたのは「最後の女王の慈愛」だったのではなくて、「自分が生まれた意味を残したかった」的なもっと人間くさいものじゃないかと思っている。某さまの「生物学的な意志。民族をあげての改良の結果、子孫を残すためにいい男を見たら即GETというDNAの存在」という説はとっても面白いと思うけれど、私はこの女神はとても人間くさいのだと解釈している。墓守としての自分の存在意義と、ならばどうして自分が生まれてきたのか、死者の番人以外の存在意義は自分にないのか、という葛藤との結果が、「コスモクリーナーを取りに来なさい」と「自爆」なんじゃないかと思うわけです。(コスモクリーナーの設計図を送らず、取りに来させた理由というのは、77maru77さんの説(「響鬼を語ろう」2011.01.19付記事)に一票。この考察は見事だと私は思う。)
スターシアが「イスカンダル最後の女王」である限り、この恋は悲恋でしかなく、守にーちゃんもそこには疑問を持たなかったと思うんだよね。つまり、僕とイスカンダルとどっちが大事なの? なんて事は思わなかったと思う。スターシアにとってイスカンダルは自分の存在意義の全てであって、それと比べられるものは存在しなかったと思うから。ある意味、民族の妄執に取り憑かれていたと言っても過言ではないのでは?
逆に守にーちゃんは、「俺が守ってやる」ものが必要な人だったんじゃないかと思う。元々はそういう人じゃなかったと思うけど、両親を失って弟と残された時に、どこかバランスが崩れたのかも。勝つ見込みのないガミラス戦が追い打ちをかけてるでしょうし。
だから、この2人はなるべくしてなった悲恋の物語だと思うわけです。


テレサ&島くんは、うーん、よくわかんない。
「さらば」のテレサではなくて、「2」の方のテレサなんですけどね、女神さまというより「超能力を持った異星人」という位置付けだと思うんです。辿り着きさえすれば確実に助けてくれるイスカンダルの女神との対比として、発する情報は「危険ですよ」だけ。その一瞬に、まだ見ぬ相手に恋をする2人。「恋ってそういうものだよね」としか私にはわからんです。
で、なるほどねー、おおそういうことか! と思わせてくれるサイトさまはございますから、ええ、航海班は航海班の解釈にお任せいたしましょうぞ。ダッシュ!≡≡≡ヘ(*--)ノ


ということで、ルダ&揚羽くん。
こーれーはー。もっとわからん。全然、わからん。中学生の恋みたいだ。
で、納得したいので、TakeMeHigherさまの続きを、心からこいねがっている次第です。


と、気が付けば大分長くなった割に何を書いているのかよーわからんのですが(笑)、私の好きな物語には悲恋が多いよねーと言うだけの話。
つまり、自分の気持ちの中でどちらが重いか軽いかという問題とは別にして、そこで涙を呑みつつ(見せながらじゃないところがミソ!)、恋じゃない選択肢を選ばざるを得ないという物語に、私はすごーく心うたれるってことです。うーん、根性わりーな、我ながら!

でもね、もの凄くキャラ萌えなんだよね。
ある物語のあるキャラに、もの凄く入れ込んだ読み方をするわけです。そういう意味では『SBヤマト』ではそういうキャラがいなかったんだな。斉藤は良かったけどね。

というわけで、無駄に長くてごめんなさい。(_ _;)
課題がこなせなくて現実逃避していたら、長くなっちゃったんですよねー。

ああ、今日も花粉がいっぱい飛んでますね!ダダダダッ☆≡≡≡≡ヘ(〃 ̄ ̄ω ̄ ̄)ノ


★拍手コメントいただいたTさま

我が「巣窟」も老朽化に伴い、出入り禁止となった模様です。
先輩に懐かしい写真を見せてもらいました。

あそこでねー、私は「明かりを点けると共に飛び立つ黒い生き物」に初めて接近遭遇したんですよっ!!
ぎゃーーー!

よもやま  | コメント : 0  | トラックバック : 0 |

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