平凡で凡庸で中庸な人生

2011/03/11 11:40

花粉症の日々です。目と鼻がいけません。クスリを飲んでも、花粉をカブってしまえば一緒です。
今年は花粉の飛散が遅いと思ってましたが、やっぱり来るモノは来るんですね。(溜め息)これも季節の循環ですから致し方無しとは申せ、はぁ、つらいです。
国民の約半数の方に同意していただけるのではないかと思いまする…。ふう。

この所、あちこちに連絡を取る必要があり、懐かしい人たちの声を聞いています。
相変わらずだよなぁと笑ったり、ホッとしたり、かと思えば、うげっどこもやっぱ大変だよね~と思ったり。
まさに人生イロイロと言った処です。

それにしても、技師長はよくぐれなかったよね~とかご尊顔を拝し奉りながらしみじみと思ってしまったわけです。あそこまで突き抜けた才能を持っていると、ぐれるということすらできなくなってしまうんだろうか。
人生の振れ幅がでかい人ですねぇ。

技師長と比べても仕方ないんですけどね、私ってしみじみと「平凡」で「凡庸」で「中庸」だよね、と思うんです。あ、技師長に比べて遜色のない人生の方が少ないとか言わないでね。

若い頃ね、ずっと憧れていたのは「波瀾万丈の人生」だったわけです。
「エースをねらえ!」の第2部にね、桂コーチが宗方コーチの死から立ち直れないひろみを預かりたいと、岡の両親を説得するシーンでね。
「ぬるま湯に浸かったような人生を歩む人間は多い。けれど、それは大きな哀しみもない代わりに、大きな喜びもない。岡ひろみは宗方を失って慟哭の中にいる。けれど、それを乗り越えればきっと大きな何かが得られるはず!」みたいなことを言うんですよね。

この時思っちゃったんですよ、子どもの私は。
「そっかー。平凡な人生って「ダメ」なんだー」って。

司馬遼太郎の物語を読みながら、そういう「波瀾万丈」な人生に憧れたんです。主人公の恋人とかいう役回りではなく、主人公そのものになって人生という荒波を越えていくんだ! 
なんて、かなりムボーな事に憧れていたんですよね。うう。青いよねー。^^;

なら、そうやって生きれば良かったんですけどね、私には「したいこと」がなかったんですよ。

こうして周りを見渡すとですね、望んだ道で直接成功したかどうかは関係なく、皆さん、したいことをきちんと持っていらっしゃる。
すげー、と思うんです。
だって、私は何かを「したい」と強烈に思ったことが今までなかったんですもん。

就きたい職業ってのは確かにあったけれど、就職時に向けて、そのために死ぬほど努力したわけじゃなかった。
大学へ入学したときからその道は決まっていて、その通りに歩んだだけ。それも結婚し、妊娠したことで辞めてしまったし。
もひとつあったやってみたい職業は、進学した大学にその課程がなかったのでその時点で諦めちゃった。

今はこうしてずらずらとblog書いたり、拙いながらも二次創作なんてしているけれど、この年までお話を書こうなんて思ったことはなかった。それこそ、チラ裏にさえ書いたことアリマセンでした。
「まんが」はノートに書いたことがある(笑)。思い出したくもない、こっぱずかしいモノだけどね。
でも、自分に「絵」の才能があると思ったことは一度もないので、そっちに進むことも考えたことがなかったなぁ。

所謂平均的な年齢で結婚し、平均的な出産(人数、年齢ともに)をした。
たぶん、平均的な転勤族の有り様で、育児ノイローゼにもなりかかったし、引っ越しもしたし、地域との繋がりもあった。幾分、学校への関わり(PTA活動ね)は強かったと思うけれど、それもまた平均値内でしょうね。
子ども達は、特別優秀でもなく、かといってもの凄く凶悪でもなく、平均値な振れ幅の中で育った。

夫との関係も、たぶん、平均値でしょう。喧嘩もそれなりにするし、お喋りもそれなりにする。一緒に出かけもするし、かといって趣味や考え方がすごく同じでもない。ふたりともに、適度にオタクで、適度に社交的。(笑)

たぶん「善良な一市民」のある典型なんじゃないかと思う。

桂コーチに言わせると、「ダメ」じゃん(笑)
なんて、桂コーチがそういう事を言いたいわけじゃないとは思うけどね、でも、すり込みってのはオソロシイものなんですってばw。

何かが凄く好きで。或いはとてもやりたいことがあって、それに向かって死ぬほど努力したことが、これがないんですよね。

やっぱり「ダメ」ぢゃん?



ずっと、そんなことを考えていて、ドツボのループに填っちゃって。
人生の深みなんて、私、持ってないし。
私の存在意義って何だろーなー。なんて、思春期にとっくに脱したはずの問いにとっつかまってしまい。

うーん、ドツボ。


でもね。
そんな「平均的な」「ぬるま湯」人生でも、辛いことや悲しいことはあるんだよーーー。
って、当たり前なんですど(笑)。
ついでに、そんな人生にも、喜びや楽しみはあるんだよーーーー。
って、当たり前なことに気が付いた。


以前、中村獅童さんに向けてお母さんが書いた手紙の中に、「平凡な幸せを掴んで欲しい。それが一番の喜び」というような事があったのね。
でもね、それって「無い物ねだり」なんじゃないかと思っちゃった。
非凡な人生を歩んでいるから、平凡な幸せが貴く見えるだけじゃない? 実際に平凡な人生を歩んでもそれが言えるの? って思った。

でもね、母もそういうんだよね。
「平凡が一番」
母はあの世代の人だから、空襲も知っているし(一時期東京にいたから)、食べ物がない辛さも知っている。その上、私の祖父は早くに他界してしまったから、祖母が女手ひとつで6人の子ども達を育てあげたんだよね。
当然、今の私から見れば充分に「平凡」じゃねーよっ、って思うけど、でもたぶん母の世代では特別珍しいことではなかったのだと思う。
でも、母は「平和が一番」とは言わなかった。「平凡が一番。普通が一番」そう繰り返し言っていた。

「普通」ってなんでしょうね。

私はそこから逃げ出したいと思い、けれど、根底を支える価値観はそこにあるわけで。
結局の処、「普通」でも「ダメ」じゃないんだよ、って思えるようになるまでとっても時間がかかったわけです。
で。この年になって、ようやっとやってみたいことができたわけでして。

「平凡」で「凡庸」で「中庸」だけど、だからできることもきっとあるはず。

ふっふっふ。つまりは私が「常識」なのだっ!(笑)
って、それと「常識」は違うから!

いろんな人とお喋りしながら、そんなことに辿り着いた今日この頃でございます。

よもやま  | コメント : 0  | トラックバック : 0 |

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