明日を言祝ぐ

2011/04/08 10:30

あっと言う間に四月も一週間が過ぎてしまいました。
今日の関東は風が強いですが、気温は高いですね。

天井裏のちゅー助が朝から賑やかなのは何故でしょう。
ちゅー助とは会ったことがないんですけどね(笑)、天井裏を走り回ったり、何かを引きずっているような音が時々いたします。何をしているだろうね、と夫や息子たちと話しています。
え? 退治しろ? まいいかなぁと。今のところ悪さをしている痕跡が見あたらないので、共生してます(笑)

そういえば、長男がまだ生まれたばかりの頃にも、当時のアパートにちゅう助が出ました。
真夜中にそうめんパーティをしたそうで、お隣の奥さんが怒ってました。
我が家でも(覚えてないけど)被害があったので、「ちゅーぺったん?」みたいなベタな名前の捕獲用紙?を買ってきて捕まえました。
あれはでかかったなぁ(笑)。

昨夜の余震は久しぶりに大きく揺れました。
一昨夜、夫と2:30まで喋っていて寝不足だったので、昨夜は早く布団に入ったんですが、緊急地震速報で目が覚めました。
以前は無かった恐怖が、今は気持ちを掠めます。
風で家が揺れても、どきりとしますから。

東北ではもっと大きな揺れでした。こちらも早く終息してくれることを願うばかりです。

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昨日、川縁の桜が満開でした。
つい数日前はまだ蕾の方が多かったのに、いつの間に花開いたんでしょう。
桜が咲くと嬉しいですね。

でも、不思議な光景を見ました。
まだ、桜吹雪にはならないのですが、花が散ってはいます。
それが、花びらが落ちるのではなくて、椿のように花一輪がポトンと落ちるんです。
それが一つや二つじゃないんですもん。
桜ってあんな散り方をしましたっけ?

今日は風が強いので、桜が散ってしまうかしら。
明日は次男の高校の入学式です。

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私は歴史小説が好きで、司馬遼太郎作品を若い頃から愛読してきました。
初めて読んだ彼の作品は『竜馬がゆく』。中学3年の時でした。
彼の著作は数が多いので、紀行文はあまり読んでいないのですが、小説やエッセイは結構読んでいると思います。

その中に「二十一世紀に生きる君たちへ」という文章があります。
ご存知の方も多いかと思いますが、
小学生(5年生か6年生)のために書き下ろされたもので、国語の教科書に掲載されています。

私は、歴史小説を書いてきた。
もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。
(「二十一世紀に生きる君たちへ」より引用)

と始まるこの文章は、これからを生きていく子どもたちへの、司馬さんのメッセージが込められています。
私はこれがとても好きで、そのために単行本を求めました。

私が持っているのはこれの単行本です。

十六の話 (中公文庫)十六の話 (中公文庫)
(1997/01)
司馬 遼太郎

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この作品だけの本もあります。
二十一世紀に生きる君たちへ (併載:洪庵のたいまつ)二十一世紀に生きる君たちへ (併載:洪庵のたいまつ)
(2001/02/12)
司馬 遼太郎 (しば りょうたろう)

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君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。
同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。
私は、君たちの心の中の最も美しいものを見つづけながら、以上のことを書いた。
書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。
と、結ばれています。

こんな風に言祝がれる明日が嬉しく。
そしてまた、こんな風に明日を言祝ぐことができることに大きな可能性を感じていて。

子どもたちが大きくなったらきっとこの言葉を贈ろうと思っていました。

長男にも、中学を卒業するときにもそうしました。
もっとも、私の自己満足ですから彼がどう受け止めたのか、受け止めなかったのか(笑)はわかりませんが。

 *

今年は、もうひとつ、明日を言祝ぐ文章に出逢いました。

この言葉を贈られたのは、今年卒業を迎えた高校三年生。
言葉を贈ったのは、高校の校長先生です。

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ

こちらも話題になったので、既にご覧になった方も多いかと思います。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

(記事より抜粋)

そう綴られた言葉の先に、私は光に向かって船出をする姿が見えたような気がしました。

震災の後、あまりの事に呆然とする自分がいて。
元気を取り戻してくれたのは、歌だったり音楽だったりしました。

言葉は。

言葉はどれ程に力を持つのだろう。

そんな疑問や不信感を持ってしまった時間もあり。

でも、私は自分を取り戻すために、小説を読みました。エッセイを読みました。
自分を立て直すために、言葉を必要としました。
そして、この文章を読んだときに、力をもらったように思いました。

音楽も。パフォーマンスも。言葉も。
人は明日を言祝ぐことができるのだと、改めて感じたのです。

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『現代人の祈り』という本があります。
現代人の祈り―呪いと祝い現代人の祈り―呪いと祝い
(2010/07/02)
釈 徹宗、内田 樹 他

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すいません、またもや内田樹氏です。
その中に「人は口の中に斧を持って生まれてくる」という一節があります。

対談されているのは、釈徹宗氏と内田樹氏です。

言葉には呪術性がありますからね。言葉も調えないと、自分で自分に呪いをかけてしまいます。自分の首を絞めることになります。また、調えられた言葉によって、連鎖反応で心身も整う。心身を調えれば言葉も調う。そんな相関関係にあるのでしょう。調えば、苦しみの連鎖は安らぎの連鎖へと転換してきます。(「現代人の祈り」より引用)

呪いと祝いは語源を同じとしているそうです。
私は呪うよりも、言祝ぎたいと思う。

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明日はあまりお天気が好くないようですが、何はともあれ、ハレの日を迎えることができたのは嬉しいことです。
彼にとって、長いトンネルの後の新しい一歩となるよう、心から祝いの言葉を贈りたいと思います。

よもやま  | コメント : 0  | トラックバック : 0 |

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