足尾の鉱山と渡良瀬川と田中さん。

2011/05/15 00:32

田中正造物語田中正造物語
(2010/08)
下野新聞社

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田中正造物語 随想社hpより


足尾鉱山鉱毒事件 をご存知でしょうか。

公害問題原点の事件とも言われており、郷土の歴史として小学生の頃から学習しているけれど、全国的に知名度がどのくらいあるのかはよく知らないのです。

足尾鉱毒事件(あしおこうどくじけん)は、19世紀から21世紀の栃木県、群馬県の渡良瀬川周辺で起きた足尾銅山の公害事件。明治時代後期に発生した日本の公害の原点である。足尾銅山鉱毒事件と表記される場合も多い。原因企業は古河鉱業(現在の古河機械金属)。
過去の事件と認識されがちであるが、2011年現在も鉱毒物質の流下は続いており、決して過去の事件ではない。


一応、wikipedia-足尾鉱毒事件から引用しておきます。

この事件で活躍したというか有名というか、田中正造(たなかしょうぞう)という人物がいます。
たぶん、事件以上に知名度低いんじゃないかと思いますが、私にとっては郷土の偉人なわけで、これまた小学校からお勉強してきた人物です。

でもよく覚えていなかったんですよね。
足尾鉱山鉱毒事件を追求した国会議員で、天皇に直訴した人。
という程度の認識しかなかった。
ので、図書館でこの本を見つけて、つい手にとってしまったわけです。

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上記wikipediaにあるように、この事件は足尾鉱山から渡良瀬川流域で起きたもので、その上流と下流ではその様相が変わってきます。
私が知っているのは下流域の話で、谷中村に代表される地域の事です。上流である足尾へは実はいったことがなく、足尾のハゲ山を見たことがありません。大学の時の先輩が足尾へ行かれたそうで、その時の衝撃はそのまま私の足尾への印象となって強く残っています。

この田中正造。実は私の祖母が会ったことがあるそうで、ちょっと身近に感じていました。(もちろん祖母の家に立ち寄ったことがあり、その時に姿を見たとか、話を聞いたとか、どこまで本当なのかよく分からない話なんですけどね^^;)
祖母は10年程前に95歳で亡くなっていますので、遙か昔の事ではあるのですが、実際に知っている人と直接会ったことのある人というのは、歴史上の人物というよりは、昔のエライ人、もっと言ってしまえば、その辺のエライおじちゃん、てなイメージも持ってしまうわけですよ。

田中正造。(wikipediaより抜粋)

田中正造生家田中 正造(たなか しょうぞう、天保12年11月3日(1841年12月15日) - 大正2年(1913年)9月4日)は、日本の政治家。足尾銅山鉱毒事件を告発した。衆議院議員選挙に当選6回。幼名、兼三郎。

わははははは。私のイメージがヘンなんですわ(笑)

天保12年の生まれですよ?
つまり私の大好きな幕末から明治を生き抜いた人なわけです。
で、その間に国会議員でしょ?
ていうか、第1回衆議院選で当選している人なので、山県有朋とか伊藤博文とか一緒に議員さんだったわけですよ。政友といわれるのが大隈重信なんて知らなかったですって。

なんか急に田中正造が遠くへ行っちゃった感じ?(笑)
というか実は逆で、そうかー、伊藤博文とか大隈重信とか本当に生きてたのね!! ってな感触を持っちゃったわけです。

簡単に言ってしまうと、
田中正造=ばあちゃんの知り合い(←この時点で既に間違っているから・笑)の知り合いが大隈重信なのねっ。
うわーっ、すげ身近っ! みたいな(笑)。

というのはまあ冗談ですが、でも実際の処、明治の偉人たちも本当に生きていたんだという実感を得たというのは事実です。
私にとって幕末はある意味憧れの時代で、「西南戦争をもってして幕末は終了する」と思っているわけなんですが、明治という時代は45年もあったわけですよ。その間に、あの足尾鉱山が画期的な転換点を迎え、鉱毒事件に発展してしまうわけで。あのハゲ山ができあがり、あの遊水池ができあがるわけです。
幕末でぷつんと途切れていた日本の歴史が流れ始めたというか、私の中で、時代劇と現実が繋がったとうか。
そんな不思議な感覚を得た一冊でした。

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それにしても、渡良瀬川流域ってのは洪水の多い土地だったんですね。
1890年代なんて、毎年(ってのは大袈裟かもですが)のように洪水に襲われてて。もっとも洪水は肥沃な土をもたらすわけで、それが翌年の豊作に繋がるんですから、悪いことばかりじゃないとは言ってもですね。
やっぱり100年に一度の洪水、なんて記述もあるんですから、さぞ大変だったのだろうと思います。

私の場合、当然生まれた時から遊水池ってのは存在するわけでして、洪水の被害というものに遭ったことはありません。遊水池ってのは、洪水を防いでくれる有用なものだと思っていました。
それが、あの谷中村の自治を崩壊させた一因であり、鉱毒事件を沈静化させる為のひとつの策だったという記述には驚きました。

本当は、ちょっと考えれば分かる事なんですけどね。
谷中村を移転させ、川筋を変え、遊水池を作ったわけですよ。
鉱山閉鎖への運動を続けている住民を移転させ、ばらけさせちゃえば、そりゃ沈静化はしますよねー。
おー、なるほど。そういう経緯であの遊水池は作られたのかー。へーへーへーへー。
って、私は小学生の頃、何を勉強していたんでしょうね???

遊水池、好きですよ。
見渡す限り、芦(あしorよし)の原でね。でっかいハート型の人工湖もありますが。
動植物の宝庫なんだそうです。
関東平野ってでかいなーーって思います。
空と湖と芦原しか見えないんです。人工物、無し。家もありませんからね。(←あたりめーだ。洪水にならないために水を引き入れる土地に家を建てるわけなかろう・笑)

3月には「芦焼き」ってのがありましてね。病虫害を防いだり、成長を促進させたりを目的として、あの芦原に火が付けられます。芝焼きと同じです。
燃えかすというか、炭?が飛んでくるので、その日はお洗濯モノは外には干せませんのよ(笑)
一度、父と車で観に行ったことがあります。
現在は危険だと言うことで制限されていますけど。
いやー、凄かったですよ。車に火が燃え移ろうかってくらいに火が迫ってきてましたからね。
でも怖かったというよりも、ドキドキしちゃいました。これが水だったら、きっと私は笑っていられなかったと思うけど。怖いもの見たさとても言うんでしょうかね。

谷中村跡にも何度か行きました。
今だったらも少し違った感想が持てるかもしれませんが、その時に私が感じたのは「史跡」という事でした。
ひとつの村が無くなってしまうというのがどういうことなのか、やっと現実感をもって考えられるようになったのでした。

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今までたくさんの災害があり、昔だったら今よりももっともっと酷いことになっていたでしょう。
生きていくこと自体が、もっともっと辛かったかも知れません。
でも、そんな中で、生きることを諦めない人がたくさんいたわけで。
だから、今の私たちがいるわけですよね。
その時に生きることを諦めていた人がいたら、私は生まれてこなかったかもしれないわけで。
スーパーマンじゃない一人一人が、諦めずに懸命に生きてきた結果が、今なわけじゃないですか。

そんなご先祖様たちって、すごいな、と尊敬しちゃうわけです。
私たちも、そんな風に思って貰えるように生きてみたいですよね。

っていうのは、何日か前にあった糸井さんの受け売りです。
コラムを読んだときもそう思ったんですけど、この本を読んでいてそれを思い出しました。

何日も休んでいる間も来て下った方、ありがとうございます。
またボチボチ続けていきますので、お付き合いいただければ何よりです。^^

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