大人になるということ。

2011/06/01 16:33

「子どもみたい」とか、「子どもっぽい」とか、「子どものような」とか。
言われた時のシチュエーションによって、その意味する処は大分変わりそうな言葉たち。

大人にならなきゃな、といろいろな場面で思うことが増えた今日この頃です。

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月曜日は学校を休んだ次男が、昨日はやけにすっきりとした顔で帰ってきた。
理由を聞くと、「部活がサクサクと進んだ」事で気分が良かったらしい。

はっきりとは教えて貰えなかったようなのだけど、どうやら次男が休んだ月曜日に先輩の一喝があったようで、筋トレも射形(こういう字でいいのかな?)の練習も「いつもの1/3で済んだ」のだと言う。

次男は決して勉強熱心でもなければ、人一倍部活に熱心なわけでもない。
けれど「他人に合わせて無駄なことをする」とか「無意味(だと本人に思える)な事を淡々とこなす」ということがとても苦手。
そのかわり、やらなきゃならないと思ったことは(ある程度は)手を抜かずにする。
用事を頼んだときに、気持ちのいい返事と共にすぐに動ける。もちろん、嫌なら即答で拒否だけど。

ちなみに、長男はだめ。返事だけで、いつになってもやろうとしない。
こちらがしびれを切らして手を出すと「これが終わったらやろうと思っていたのに」と口を尖らす。
当然、次男に用事を頼むことが増えるわけだ(笑)

とはいえ、二人に割と共通しているのは、「どうせやらなきゃならないのなら、やる時はやる」という姿勢。
この場合、客観的に大人からどう評価されるか、という視点は抜きにして。
あくまでも、本人達の主観的な気持ちの問題です(笑)

なので、授業中喋っていたりする事は次男にはあり得ない。
どうせしたくない勉強なら、その時間で終わしてしまいたい。その時間内に理解してしまいたい。
だって、家に帰ってまで勉強したくないし。
という理由から(笑)

だから、テスト勉強も「それなり」にする。
理由は至極簡単。「追試を受けるのは面倒くさい」から。

アニメや小説のキャラでなく、本当にこんな事を言う人間は初めてみました、ワタシ。
本当にワタシの息子だろうか?(笑)

だからどうせなら授業はちゃんと受けたいわけですよ。
だから授業中に寝てる人がいるのは気にならないわけですよ。自分の妨害にはならないから。
でも、うるさいヤツはキライなの。

それと同じ理屈で、どうせやるなら「筋トレ」もさっさとやりたい。きちんとやりたい。
たらたらとやってる筋トレなんて以ての外。そんな意味無いことならやりたくないわけです。

でもさー。
俺と同じ考えのヤツって、ほとんどいないんだよねー。
と息子は言う。

みんな、(結果がどうなろうと)その時、楽できるなら楽な方がいい、ってヤツばっか。

これは諸般の事情で、息子の経験が少ないからでもあるんだけどね。

「うーん。たぶんね、上のクラスに行くと、授業中も静かだし、やるときゃやる、って人は多いと思うよ?」と言ったら、
「げーーっ。これ以上勉強が増えるのは嫌だっ!」と言っていた(笑)

結局の処、「何が嫌なのか」という点が違うだけで、「何かを為すためには何かを選ばなければならない、(意識的に)何かを捨てなければならない」ということを拒否している点では同じなわけです。

***

だいぶ前の雑誌(たぶん「ダ・ヴィンチ」だと思うんだけど)で、内田樹特集をしてました。
「迷ったら内田樹を読もう!」みたいなタイトルだったと思うけど。

そこに内田氏へのQ&Aがあったんです。
(うろ覚えなので違っていたら済みませんです。と思ったけど確認しました。そこから抜粋してます)
「もし、夫の立場であるとして、妻と妹のどちらかの味方にならなければならないとすれば、どちらをとればいいのでしょうか?」
という質問に内田氏の答えは。
「一般論を言えば、とりあえず「立場の弱いほう」に加担して、両者が平等な立場で意見が交換できる場を確保し、そのあとは「より合理的な主張をしている方」に理ありとし、そのあとは言い負かされて「がっかりしている方」のそばにいって慰めてあげる、という三段階が基本形ということでしょうか。端からどっちかの味方に決めてかかるようなことは子どもじゃないんですからダメですよ。」
というものだった。

わははははは。
一歩間違うと、八方美人とか、玉虫色とか、こうもりさんとかになってしまいかねないけど、それが大人の対応ってもんだよね、と妙に改めて感心してしまった。

自分でもね、揉めた時ってついつい白黒つけたくなっちゃうけど、「真っ黒な悪人」もいなければ、「真っ白な善人」もどっちもいやしないんだよねー、と丁度思っていた処だったので。
「落としどころ」ってのを見失っちゃうと、人間関係も、仕事も、何かを楽しむことも、難しくなってしまうものです。

青春時代(←笑)にはね、「大人って腹黒っ! 汚いっ」なんて思ってたりしたけど、「大人の分別」が社会を支えているわけだからね、使いドコロと落としドコロを間違えないようにしなきゃだわ、なんて、息子の話を聞きながら思っていたのでした。

***

この「大人の分別」とか「大人の振る舞い」というのを題材にした小説があります。

たまゆらにたまゆらに
(2011/04/20)
山本 一力

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私の大好きな一力さんの最新作です。

江戸・深川に暮らす棒手振の朋乃が50両の入った財布を拾った処から話が始まります。

一力さんの物語は背筋が伸びるようで、とても好きなんですが、これを読んでちょっと思った事があったのでした。

たとえば。
大好きな人に愛を告げる時に、「愛している」と告げる人が実際にはどれくらいいるでしょう?
あー、もしかして私が言わないだけで、みなさん、こっそりと告げたりしているんでしょうか。
少なくとも私は夫に向かって「愛してます」と告げたことは、過去一度たりとありません!(自慢っ・笑)
当然、夫に「愛してるよ」なんて告げられたこともありませんけど。

でもね、そんな直截な言葉を使わなくても気持ちは伝わるじゃないですか。
「I love you」と告げるばかりがのうじゃない、と慎み深い日本民族としてはそう思うわけです(笑)

それは「なあなあ」とはちょっと違うと思うんですよね。
「機微」と言いたいかも。

「…と躾けられていた」とか「…とわきまえていた」とか。
そんなことは言葉にしてかかなくても、そこにある行為の描写を読めば意図は明らかなわけです。
上記の言葉は決して嫌いなわけじゃないですけど、それ言わなくてもわかるよー、と思ってしまうことがいくつかあって。

つまり。
「俺は彼女を愛している」(一力さんじゃないですよ!)とか言わなくてもいいじゃーん、と思ってしまうわけですよ。

素人が書いた物語やネット上の二次小説とかは、そこまで求めないですけど。
でも「作家」と呼ばれるプロの書いた小説ならば、ね。その文章いらねー、と思ってしまうことが最近多いと思うんですね。

時代小説をあまり読みつけない人にも分かってもらえるためなのかな。
その行為がそういう意味なんだって書いた方がわかりやすいかもしれないけど、でも、それってつまらないよね?
ああ、こういう時にはこうやって行動したらかっこいいんだ、って思えればいいんじゃないかと思うし、書かなきゃわからないような事なら分かってもらう必要もないんじゃね? とも思わないでもない。

「愛してる」とか「躾けた」とか。
行為を描写するよりも、簡単に意図が伝わるけどね。
でも、それって「読者」と想定している人間を子ども扱いしてない? って思うわけです。
逆に言えば、作家さん手抜きしてない? って。

それとも私が知らないだけで、時代はそっちを求めているのかなぁとも思ったりはしますが。
私の好みとして、あまり直截な言葉を使うのは好きじゃないってことです。

そういう機微に憧れた若い頃、こんな年になっても大人になりきれずにわたわたしている自分がいるとは思わなかったです(笑)
自分の30代が想像できるようになったのって、いつ頃からだったかな。
「ノストラダムスの大予言」を越しても生きてたら、そうかー、三十代(どこら辺かは別として・笑)になっているわけだなーと思ったことを覚えています。
とりあえず、60歳までは生きている予定なので、その頃までこんな事を続けていられたら、それはそれで楽しいですよね、きっと。

よもやま  | コメント : 1  | トラックバック : 0 |

コメント

Re:えーとえーと。

★内緒のTさま

 こんにちは♪
 えーとえーと、すんません。そっち方面、全然わからなくて…(_ _;)
 切り返しすらできない…(泣)

 そうか「おこさま」って言葉もありましたね~。←そっちかい!w

| 2011/06/04 |  13:33 | ポトス #Kyq53.yY |  URL | 編集 |

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