「2199 第2章」 感想*2

2012/07/09 02:05

「2199 第2章」感想記録*2 です。

今回この作品を見てまず強く感じたのは、「作品は時代に拠るのだなぁ」ということです。
至極当然の事ではあるのですけどね。

以前、ワタシは「SBヤマト」の感想の中で、アナライザーの変化は社会の科学技術に対する変化に拠るものだ、と書きました。(その記事はこちら

現在のワタシ達は30年前のようには、科学技術の発展を信じていないし、夢見てもいないのだと考えたんですが、ちょっと違うかな、と考え直しまして。

科学技術は30年前よりも格段に進歩しています。
ガガーリンが「地球は青かった」と言った頃とは違い、日本人宇宙飛行士が何人も誕生し、何か月も宇宙に滞在できるようになりました。
光速を突破すること(つまりワープ)は現在不可能ですが、1年くらいなら宇宙で暮らすことはできるかもしれません。

つまり、イスカンダルへの旅はある一面では「夢物語」では既にないというわけです。
手をのばせば届きそうな場所(といってもかなり先ですけど)にある。

その距離感の違いが、「PART1」と「2199」との違いのベースの一端なんじゃないかと思うのです。

「PART1」では、ヤマトの旅自体が手の届かない遙か先に存在した。
それを解決してくれるのは、未来の科学技術であって、現在のそれとは隔絶しているもの。
実際の技術の問題ではなくて、当時は一般的にそう思われていたんじゃないかということです。
だから、輝かしい未来の科学技術に彩られた世界では、地下都市をまるでそこでずっと暮らしていたかのように、これからもずっと暮らしていけるかのように、広々として、清潔で、整然とした場所として描かれていた。

「2199」は、夢物語でない現実と繋がっている世界として捉えられているわけです。
科学技術がどんなに進歩しても、自ずと限界があるということを皆が認識している現在。
だから、地下都市は暗く、狭く、食堂では美味しそうな食事(宇宙食)が供給される。

まあ、どっちにしても技術提供を受けないと光速を突破できないという点は同じですが、
そこはこの物語の要でもあるので動かしようがありませんな。

それでも、現在の科学技術との接点というか、延長として感じることができるために、
「part1」ではレシート状の紙がコンピュータから吐き出されており、
「2199」ではポータブルなパッドが使用されているわけです。

ワタシはこの作品のあちこちを見ながら、ああ時代が変わったのだ、ととても感慨深く感じていました。

そして、この「2199」と「part1」では、訴えたい、つまりこの作品を見て欲しい対象が明確に違っているんですよね。
これもまた、今更ワタシが言わなくてもどなたも分かっていらっしゃるかと思いますが。

それを表しているのが、ヤマトの強度だと思うんです。



というわけで、今日はここでお終い。続きはまた後日。m(_ _)m

「2199 第2章」の感想 *1 *2 *3

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