写真をとる。

2012/09/13 11:05

我が家にはビデオカメラがない。
壊れてしまった、というのではなく、現在にも過去にも存在しない。
つまり、買ったことがない。
たぶん、子どもがいる家庭にしては珍しいのではないかと思う。

長男が生まれる前、ワタシは購入を考えていたが、夫が「いらない」と主張した。
撮ったビデオは編集しなければ、見て面白いものにはならない。
自分(夫)にそれをするつもりはないし、ワタシには時間的に無理だろう。
ただ、漫然と撮ったテープが一度見ただけで(下手をすると見ないままに)溜まっていき、
そのうち邪魔になるだけ。
それならば、写真で十分、と。

仰る通り。
ということで、我が家には今もってビデオカメラというものが存在しない。

今時のハンディなカメラで、データもデジタル保存でき場所をとらないとなれば話は変わったかもしれないが、
あの頃は、どこのテレビカメラだよ(笑)ってなくらいでかかったしね。

その分、写真には愛情込めて、たくさん撮った。

…とかいうのなら、ウツクシイお話だが、ワタシは生来の不精者夫婦。
実は写真もそれほど多くないし、
この10年くらい全然整理してないから、どこになにがあるのかさっぱりわからない(苦笑)

更に。
ワタシは、ある時から子どもの行事の写真を撮ることをやめた。

写真を撮ることは、一瞬を切り取ることだと思う。
その輝きは一瞬を捉えたからこそで、動画に勝るとも劣らない。

けれど、その一瞬を切り取ることと引き替えに、直に見ることを諦めなければならない。
カメラのレンズ越しの、
自分が切り取ろうとした瞬間のみだけを、見ることが許される。
覗いたファインダーの外を見ることはできない。

プロのカメラマンさんは、たぶん、ワタシが見ているよりも余程たくさんのモノを見、
その中からワタシには見えなかったものを映し出しているに違いない。
その視野の広さと、選択の確かさと、写せないモノが存在するという覚悟が、素晴らしい写真を生み出すのだと思う。

一瞬を永遠にする。
それはとても素晴らしいことで、ワタシが漫然と見ていたのでは絶対に気が付かなかった一瞬を切り取る、とても豊かな作業だと思う。

でも、どんなに素晴らしいカメラマンさんにもできないことがある。
一生懸命走ってくるその子を、声をあげ、手を振って応援することだ。

これのふたつは両立しない。
それに気付いた時、ワタシはカメラを手放した。

ごめん。
おかーさんが見てるから。おかーさんの目に、思い出にちゃんとしまっておくから。ずっと覚えておくから。
だから、ごめん。
写真は撮らない。
そう思って、ワタシは応援することに決めた。

だから、毎年あった運動会も、文化祭も、部活の試合も、卒業式も入学式も、
我が家にあるのは、ポーズをとった記念写真がほとんどだ。
時々、友人が代わりに撮ってくれたりするけど。

とかいっても、全く撮らないわけじゃない。
やっぱり撮ろう! とか思って、カメラを構えていたりするんだけどね。^^;
よーするに無精なんだよね、ワタシは。
それに、下手なんだ、写真とるの。(泣)

同じモノを見て、同じモノを撮っているのに、どーしてこんなに違うのさっ!?
こう、子どもの運動会とかとは別にね、めっちゃいいなと思った瞬間とか風景とかあって、
それを残したい、切り取りたいと思うことはワタシにだってあるわけだ。
でもねー、これだっ! ってな写真が撮れた試しがないのだな。

あーあ。
ヘ理屈をこねくりまわしてる間に、何か腕を磨く機会を逃した、ってだけのことかもしれませんな。
(苦笑)


時々。
写真を撮っておかなかったことを、後悔することがある。
まだ、顔がまん丸だった頃の子どもたちの写真を見て、ごめんよ~^^;と呟いてみたりするけど。
たぶん、ウチの親ってこうだったよねえ、とあの子たちはわかってくれるんじゃないかと思っているのは、
親の勝手なご都合かもしれない。


よもやま  | コメント : 0  | トラックバック : 0 |

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