『平清盛』

2012/10/25 13:18

所詮、ならず者の武士。

これか! とようやくこの物語が腑に落ちた。

はて。何のことでしょう?
(笑)

『平清盛』HPに、西光役加藤虎ノ介さんのインタビュー記事が載っている。
 信西と清盛のはざまで。

西光以前の名を、藤原師光(もろみつ)と言う。
師光時代の印象は、実はあまりない。

信西がトップに上り詰めて何やら夢中で画策していた頃、側に控えていたお公家さんがいたっけ。
ああ、あれが師光だよね。
という感じで。

信西が捕縛された時、離れることも、後を追うこともできずに(信西にそう命じられていた)いた師光。
泥にまみれ涙にむせびつつ、髪を切る。

それが最初の印象だった。
以降、なかなかに濃ゆいキャラである。

さて。

武士の世を作る。

それがこの大河の主人公である清盛の核である。
よって、彼は再々この言葉を叫んでいる。
そう、かなりの頻度でそれを口にする。

だが、それが空疎に聞こえるのは何故であろう?
ふーむ。

理由を考えてみた。

「武士の世を作る」事に対する清盛の執念が感じられない、のだ。

清盛はずっとその為に行動しているのであろうが、それが多少なりとも感じられるのは第3部になってから。
オレがオレが、の第1部も、源義朝(玉木くん)との対決である第2部も、
テーマとして「武士の世」が掲げられていたものの、それへの繋がりは今ひとつ希薄だったと思う。
いろいろなエピソードがあったものの、それらがこのテーマに帰結している、とこちらが感じるには弱いのだ。

それよりは、父・忠盛(中井貴一さん)が武士の世を目指したというきっかけ(舞子の死)や、
その後、犠牲にしてきたもの、守ってきたものを通しての生き方の方が、わかりやすいし、共感しやすい。
彼の生き方は、「武士の世」を目指していたという一事に集約されると言えるし、それに得心もいく。

だがしかし。
清盛は、葛藤が多すぎる。良く言えば。
ぶっちゃけで言えば、人物像が結構ぶれているように思えるのだな。

ひとりの人間としては、当たり前といえば当たり前のことで、
忠盛のようにブレナイ人間の方が珍しいわけで、そのブレを楽しむのも大河という長期戦の楽しみでもあろう、とは思うのだが。
その己の苦しみや悲しみを「武士の世を作る」という一点に集約するように話が作られていない。
だから、己の葛藤をそこへ繋げるための清盛の執念みたいなものが見えないのだな。

現在の平氏の栄華も、成り行きでそーなっちゃったのよね、的に見えちゃうんだよ。
ワタシは、清盛のアイデンティティの確立は好きではないが、
その後の義朝との対決や信西との共闘、後白河法王とのやり取りなどは面白く見ている。
ただ、それらが、「武士の世を作る」という一点に帰結していかないのだ。

もどかしい。
と、思っていたのが、この言葉ですとんと腑に落ちたように思ったのだ。

記事冒頭、「所詮、ならず者の武士」である。

おお、ちゃんと繋がって良かった!(笑)

この「所詮ならず者の武士」と言ったのは、西光である。
信西を誰よりも敬愛し、その偉業を共にすることを至上の喜びとしていた師光=西光が、そう考えているのだ。
信西とは国づくりの同志であった清盛であってもだ。

ワタシ、びっくり。

と、同時に当時の武士の置かれた地位がようやく実感としてわかった気がしたのだった。

加藤虎ノ介さんインタ記事で仰っているように、西光の清盛に対する意識は複雑であったと思う。
師光時代、かつては北面の武士も経験しているという西光は、武士がいかにならず者の集団であるのか骨身に沁みて知っていた。
そして、国の執政者には、才あり、教養ある者が就くべきであると考えるに至った。
だが、武力は侮れないし、それは有効に使われなくてはならない。

清盛個人に対しては、師・信西の同志であったし、その仇を討って欲しいとも思っている。
だが、信西が生きていればきっとしていたであろう国づくりをしている清盛に対して、妬心も消せない。
(この辺、インタ記事は丁寧に書いてあるので、是非、そちらを読んでね)
つまり、裏返せば、清盛個人にはかなり対等な意識を持ち接しているということだ。
その清盛でさえも、「所詮、ならず者の武士」なのだよ。

ワタシ達は――というと言い過ぎのような気がするので(笑)
ワタシは、武士が蔑まれていた時代というのを自覚しないで見ていたのだな。
原因はたぶんそこだ。

勿論、劇中、常に「武士ふぜいが」という言葉は使われていたし、描写もされてはいたが、
時代劇大好きなワタシは、武士と言えば至高の存在なのだよ。
ってのは、ちょい言い過ぎだけど。w

忠盛の時は、確かに武士のみじめさが際立っていたし、のし上がってやるという気概も感じていた。
だが、
清盛のアイデンティティの大問題は「みじめな武士という存在をどうはね除けて生きるか」ではなくて、
「平氏の血統ではない自分がいかに平氏の一員として生きるか」だった。
少なくとも、ワタシはそう受け止めていたわけでね。
それでは、武士が国の頂に登る、ではなくて、平氏が国の頂に登る、って事になってしまう。
そこに違和感を感じでいたのだなぁ。なるほど。

思い返せば、劇中、如何に武士が邪険に扱われてきたか、という描写は至る所でなされていたし、アナウンスもされていた。
平氏の館も、忠盛の頃はきちゃなかったよね(笑)。
今はすっかりお公家さん化されて、キレイになっちゃったけど。

源氏の描写なんて、もっと凄かった。
義朝の東国での活躍なんて、めっちゃ野人だったし。
これ、褒めてますから。いやー、サマになってたよね、玉木くん。王子様キャラだけじゃなかったんだーー!って。
その武力に秀でた義朝でさえ、朝廷ではいいように顎で使われ、しまいには平治の乱だ。
国を治めるのは武力だけではできない。教養が必要なのだ、というアナウンスには格好のキャラ。
(この場合の教養ってのは、歌や舞という意味ではなく、もっと幅広い知識ってことで)
愛すべき頭領ではあったものの、「所詮ならず者の武士」代表、源義朝、となる。

だが、これも清盛と義朝の対決として義朝の最後が描かれたために、源氏という武士が公家連中のいいように使い捨てられたというメッセージは充分に伝わらなかったと思う。
義朝と清盛の方針は違っていて、本来、武士の役割・位置付けという点で争っていたはずなのだが、
結局のところ、武士の中で平家と源氏が争っていたに過ぎないという形で終わった。

「武士が頂に登る」ではなくて「平家が一番!」になってしまった。
武士が頂に登るためには、武士同士で争っている場合ではない! みたいな開眼もなかったし。

実際に内部抗争になるのは仕方がないとは思うが、それをどう話の主題に繋げるかは作り手次第であろう。

大体、その教養豊かなはずの公家連中が、政治をしているように見えないのも問題だ。
古式ゆかしく意地悪してるだけ。
パンクだけど頭の切れる後白河院だって、そこは同じ。遊んでるだけ。
確かに政権として機能していなかったのかもしれないが、あれはあまりじゃないかと思う。
政治してたのって、信西だけだろう。

だから、この朝廷においての武士対公家の場面(例えば、重盛云々等)も、
武士=平氏が教養を如何に身に付けるかという方向で次第に解決されていく。
勿論、平家一族が身に付ける教養とは、舞や和歌といった嗜み方面で、
肝心の政治については清盛が独占していて、誰も寄せ付けない。

それが、平氏衰退の原因となる。
自分がいなくなった後の事を、果たして清盛は考えたことがあるのだろうか。

「所詮ならず者」と蔑まれた武士が頂に登りつめた時、清盛はその権力を維持するための手を打たなかった。
政治という権力を、己の才にまかせ独占し、一族の公家化を良しとした。
己が壊そうとしているものを子孫に伝えてどうしようというのだ。
継承を考えなかったことが、「武士が頂にたつ世」を易々と源氏に明け渡すことを許した。

驕る平家も久しからず。
だが、「所詮、ならず者の武士」がその後の世を長く支配するのである。

武力と政治という視点でこの物語を紐解いてみても、結構面白いのではなかろうか。
などと、加藤さんのインタ記事を読んで妄想していた次第である。

テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

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