八重の桜第8回感想

2013/03/02 13:26

「八重の桜」第8回ままならぬ思い NHK 2013.02.24放送

蝶の羽ばたきが海を越え竜巻を起こすとか、風が吹けば桶屋が儲かるとか言いますが、
自分の全くあずかり知らぬところでその運命が決まってしまうことは、ままあることで、
といいますか、それこそが人の世なわけでして。
自分の運命は自分で決めるのだ、と言い切るのはちょいと傲慢ではないかと思います。
もちろん、何も選べないという事ではありませんが、選択肢の数はいつの時代もそう多くはありません。
YesかNoか、第三の道か。
そして、第三の道というのは、得てしてそれを考え出すことも、選択することも難しいものですし。
容保公の決断は今後の会津の運命を決定付けるものでありますが、彼は為政者として、藩政のトップにたつ者として、そのことに対して十分に自覚を持っていたでしょう。
だからこそ、彼は自身の生き方を「会津人である」ことに集約しようとしたのだと思えます。
太平楽な250年と描かれる時代ですが、この難局に多くの「賢侯」が出現したことを思えば、江戸の教育というのは一定の役割を果たしていたのではないかと、先人の偉業に頭を垂れる想いでいます。

ワタシは「勤皇」というのは幕末に「倒幕」を目的として、本来の思想とすり返られて使われた思想なのだとしか思っていませんでしたが、藩政のトップというか、藩主に戴かれる層の教養としてはかなり浸透した思想だったのかと、改めて感じました。
容保公が孝明帝に信頼を寄せられ、まるで雪崩れ込むように傾倒していく様は、時勢という生き物に絡めとられていくかのようです。
彼の決意が保身によらないものであるが故に、美しく、そして悲惨であります。

その美しさを、「会津人でないが故にこだわり続けるのだ」と批判したのは、西郷頼母です。
彼はこれ以上会津が幕末の政情不安という渦中に飛び込むことを阻止しようとしています。
それは会津の存続を第一としたからこその判断ですが、そこまで言うか!ってレベルの諫言だったと思います。
けれど、容保公は頼母を退けます。彼は滅びの美学ともいえる決意を変えることはありませんでした。

彼らの判断が間違っていたわけではないでしょう。けれど、正しかったとも言えず。
それでも歴史という人の与り知らぬものに巻き込まれた命が、後世のワタシ達の心を打つのは、そこに「普遍の美しさ」があるからなんだと思います。
犠牲への自己陶酔と紙一重であるとは思いますし、容保公みたいな人ばっかりだったら世の中回りませんから、いろんな人が存在してこその人の世だとは思いますが、
こういう美しさを持った人が一定数存在することで、猥雑な人の世が輝きを増して見えるんだと思います。
頼母にしても、時勢が見えたが故の行動であって、会津藩への忠誠心が故の言動です。所謂「保身」とは質の違ったものでしょう。
木登り八重ちゃんとの語らいは、良いシーンでしたねぇ。
タイトルの「ままならぬ思い」のひとつが、明るく、けれど胸を突くような形で描かれていたと思います。
西田さん、さすがだなあと感服いたした所存でござりまする。
第1回の「ならぬものはならぬ」というキーワードも、頼母が言ってましたが、使いすぎず効果的に使われているなと思います。

ままならぬ思いといえば、会津パートの八重ちゃんたち。
京の政情だけでなく、会津の生活を挿入することで、物語が生活に根ざしたものになっていますし、ドラマとしても緩急の間合いが上手いなぁと思います。
主人公の八重が政情に直接関わっていなくとも、決して分断されているわけではなく、その影響を受けながら暮らしていくのだとという表現が、このドラマはとても上手いとワタシは思ってみています。

想いを告げることがなくとも、いつの世にも恋は存在し、それが故に泣き、笑う。
大蔵に想いを寄せる時尾ちゃん(貫地谷しほり)も、八重に想いを告げつつ祝言を挙げた大蔵自身も、とても切なかった。

そして、ワタシがこの物語の中で良いと思うのは、たとえ好きな人と結ばれずとも自分の人生を投げ出さず、添った相手を大切にしていく姿勢です。
ただひとりの運命の人と出会うことだけが大切なんじゃない。
そうして添い続けることで、ただひとりの人になるんだと思うから。

さりげなく尚之助が席を外したところは、ワタシ的に○。
尚さんの風情が春風みたいで好きなんですもん。^^

そうそう、御所の前での軍事調練、見事でしたねーー!
いや、大河だわぁNHKだわぁとほくほくとして見てました。

次回も楽しみですね。って、明日だよ(笑)

テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

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