「八重の桜」第12回感想

2013/04/02 01:10

「八重の桜」第12回-「蛤御門の戦い」 NHK 2013年03月24日放送

一週遅れで書いてます。(_ _;)

京の情勢が、だんだん重苦しくなってきました。面白くないわけじゃないんですけどね。
ワクワク感とはほど遠い京の情勢と、八重と尚之介の縁談が持ち上がる会津の様子が、バランス良く配置されていると思いました。

まずは、蛤御門の戦いから。
ペリーによる外圧から始まった幕末の混乱が内乱へと発展していくわけですが、会津と長州を描くことでその様子が浮き彫りになっています。品川の砲台を守り、外敵に備えるために軍制を一新するはずの会津が戦っているのは、いつの間にか、長州です。

面白いですね、というと不謹慎な気がしますが、歴史の混乱期の様がある意味整然と描かれていて、第13回で田中土佐が言った「我々は一体誰と戦っているのか」(台詞、未確認です。すみません)という言葉が大変印象に残ります。

決して暗愚でも、欲深でもない会津藩士たちが、歴史に翻弄されています。
彼らは何がしたかったのでしょう?
次々に目前に出される課題に、誠実に、必死になって取り組んできた会津。
外敵に備え、故郷を後にし、京を守り、帝を奉り。
その結果が、これです。

どうしてなんだろう?
そう考えると、やはり、会津藩の風土、一途で頑固、保守的で新しいものを取り入れるのが難しいという一面は、美徳だけではないのだと思い至ります。

誠実でまっとうで、とても強かった。
だからこそ、彼らは戦い、そして負ける。
うーん、悲劇ですねぇ。

自分の価値観を揺るぎないものとすることは、大切な事です。
ですが、それに囚われすぎては見えないものがでてくる。

他人事ならばわかることでも、必死になっている彼らには見えない。
京の町を焼いてしまうことで、民から恨まれることで、見えそうであり、それでもやはり見えないものがあったということですね。
彼らから、どうして「日本」という視点が生まれてくることがなかったのか。

とすると、幕臣でありながら「日本」という視点を持ち得た勝という人物は、やはりただ者ではなかったということなのでしょう。

「出陣だ!」という言葉に、「おう!」と応える会津兵たち。
いや、格好良かったですよ。
「血気盛んな長州」の焦りも、怒りも、伝わってきますし。

蛤御門では、え、その距離で鉄砲や大砲撃ったんですか!! と改めて驚くようなシーンでした。
両軍共に、その距離で弾が当たったら死ぬとわかっていて、防弾チョッキひとつない中、よくも逃げずに立っていられるものだと、ワタシは感心致しました。武士ってのは、武士の覚悟ってのは、すごいものですね!

対照的なのが、徳川慶喜さん。
馬上にあり、号令かけていても、全然勇ましく見えないんですけど(笑)。
小泉さん、好演してますよね。

対して、覚馬やら西郷やらが格好良かったこと!
歩行もままならない程の病状だったという容保公も、やつれながらも凜としていて、いや凄い。
お公家さんたちは、いつの時代もまあ、と思うような醜態でしたが、でも生き残るのは彼らなんですから、ある意味凄いことですよね。恥も何もあったもんじゃありませんが、それもまた相容れない価値観の違いです。好みはあるにしろ、どちらが正解なのかは永遠に答えのでないところでしょうね。

それにしても、池田屋事件の時には大活躍の新撰組の活躍の場は、なるほどこれではあるわけありません。
技術が時代を変えていくのだと、圧倒的な破壊力を誇る大砲が教えてくれてました。
それが、良いことなのかはわかりませんけどね。

そうそう、この蛤御門の戦いではテロップや図が効果的に使われていたと思います。
歴史好きには家紋をみれば一目瞭然の敵味方ですが、知らない人だってたくさんいますからね。
「薩摩 対 長州」と画面の陣形の上に出たときは、ナイス! と思いました。

薩摩という援軍の存在で勝利を収めた会津に対し、長州の敗走は悲惨です。
ミッチーが桂小五郎を好演してましたね。
焼け出され、家族とはぐれた少女が川縁で泣いている。その少女の肩に手をあて、「はぐれてしもうたのか」と男泣きするミッチー桂。これは泣けましたねー。
これから物乞いまでして生き延びる桂ですが、仲間を残して逃げるのはどれほど辛かったかと思うと、これもまた立派な男の生き様でしょう。会津の武士には認めてもらえないかもしれませんが。

そういういろんな価値観が、相手を否定することなく存在していたわけです。
江戸時代というのは、ホント面白い時代ですね。

そうして、勝利を収めたものの町を焼いてしまった覚馬たちは、京の民から酷く恨まれることになります。
「それがお武家さんの商売」だと言う大垣屋は、自分たちを「因果な商売」と言います。
必要悪、というのとは意味合いが違いますが、自分たちも武士の存在も認めながら、その一面を償おうとする心根は、ワタシは大人としての判断であり、立派だと思います。
どうしても、白黒つけたがりますもんね、人間て。グレーゾーンにいることを否定せず、受け入れ、と共に負の一面をも認める。そういう大人が、世の中には必要なんじゃないかと思います。

会津の勝利に終わったものの、悲劇の幕開けを感じさせる戦いの描き方だったと思います。

で、会津の八重と尚之介の縁談ですが。
いやー、こっちは良かったですよね。
ふたりの戸惑いと想いが、互い違いに透けて見えましたし。

尚之介に「私もお断りしようと思っていた」と言われて戸惑う八重の表情も態度も、いやー、ツボっ!

でも、恋とは別なところでですね、今、どうしても必要とする言葉をくれる人、必要とする力を貸してくれる人というのは、自分にとって運命の人だと思うんですよね。
「JIN」の仁先生と龍馬のようにね(笑)

京の開戦の報が伝えられ、誰もが覚馬の無事を祈り、けれど不安を抱える中に。
「大砲で塀を打ち崩すとは、いかにも覚馬さんのやりそうなことです!」と、何の確証もない中で言い切る尚之介の強さと覚馬への信頼は、山本家の人々をどれだけ勇気付けたことか。
男と女だったから、夫婦になったんですが。

必要とするものを、くれる人。

この二人の根底にあるのは、そういうつながりのような気がしています。
で、13回はこのふたりの山場ですから、そっちでまた語りたいと思います(笑)

今回は、以上。

テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

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