「2199」第5章 感想01

2013/04/22 19:27

折角リアルタイムヤマトだというのに、また楽しみを逃してしまうところだった。

「復活篇」はいろいろと致し方ない事情があったにせよ、「SBヤマト」も「2199」も自分の立ち位置を失っていて、どう面白がったら良いのかわからなくなっちゃってた。思い返しても残念に思う。
で「2199」については、ようやく吹っ切れたような気がするのでワタシなりに楽しめればと思っている。

以下、ネタバレ有りの感想ですので、ご注意ください。念のため。

「2199」第5章 望郷の銀河間空間  2013年04月13日劇場上映鑑賞
 15話-帰還限界点
 16話-未来への選択
 17話- 記憶の森から
 18話-昏き光を超えて



さて。何から語ろうと考えたものの、やはりここは真田志郎を語らずして何を語ろう、というものであろう。
(笑)

原作において真田志郎エピソードといえば、やはり「Part1 18話-浮かぶ要塞島!! たった二人の決死隊!!」である。天才科学者である真田が実は科学を憎んでおり、また彼の四肢が義肢であるという真田の根幹を成すエピソードである。

この「2199」では原作の設定を取捨選択しているが、果たして真田の義肢設定は引き継がれているのだろうか、というのは、多くの人が気にかけていたはずである。
これまで、波動砲発射での対閃光対ショック防御の指令の中でひとり突っ立ってたりとか、戦闘班がよろける程の揺れの中微動だにしない副長といった描写があり、もしや、四肢どころか全身アンドロ…という疑惑を生んでいるのは無理からぬ所。

そろそろ明確な答えが出ても良さそうな時期ではあるし、何しろ18話! である。
原作のエピがどういう形で取り上げられるのか、気になるところであった。

結論を言えば、未だ不明。
うーん、じらすな~! 気になるんですけど!
と声を大にして言いたい!! ええい! どっちなんだ!

って、実はどっちでもいいような、どっちにもとれるような描写で引っ張っているスタッフにしてやられているわけなんだけど。でもね、やっぱ気になるわけだ。

「2199」における真田志郎の立ち位置は、原作とは大きく変化している。
それは彼が副長であるということに依ることが大きい。
これから先、艦長代理が出るのかどうかわからないが、今現在の所、真田は艦長不在の場合の最高責任者である。
だから、勿論艦長が病に倒れて以降の戦闘指揮も彼が執っている。

これがカッコイイんだけど、つくづく、原作の真田は「技師長」だったのだなぁと思える。
理知的で、冷静で、合理的で、よく働き、部下の信頼も篤い。戦闘指揮も的確である。

おお、やっぱり万能だよねーーーというとこに、今回新たな要素が加わった。

今作の古代進は、いかにもな「女の扱いが下手なヤツ」というレッテルが貼りまくられているが、真田についても同様で、科学技術の話になるとそれ以外は何も見えなくなるということが判明した。
もちろん、ゆりあちゃんの髪型の件のことだ。
(笑)

いやー、あれは絵も芳忠さんも上手かったよね。
ゆりあちゃんが、波動砲の問題点についての問答を始めた時、パッと表情変わったもんね!
あれ、コミックだったら、「パッ」とか背景変わってたよ。
第一、髪型以前の問題で、ゆりあちゃん、ため口だったんだけど全っ然気にしてなかったもんね。
17歳の士官候補生が副長に向かってあの口の利き方はあり得ないっしょ! 
あー、真田さん、そっちは全然気にならないんだー・・・( ̄  ̄;) うーん とすぐに思ったもん。(苦笑)

ま、それはいいとして。
肝心の18話は、とても上手に書き換えられていたと思う。中でも「汚れつちまった悲しみに」という詩の使い方は、大変効果的であったといえる。

真田志郎の複雑さは、彼の立ち位置が被害者と加害者を行ったり来たりすることだと思う。
彼の弱さが被害者という立ち位置をとらせ、
彼の強さが加害者という立ち位置をとらせるのだ。
彼は、非常に人間らしい弱さを強さを兼ね備えた人間であるといえるだろう。

では、彼の弱さを考えてみよう。

原作では、月の遊園地の事故で自分がワガママを言ったばかりに、姉と己の四肢を失うことになったことから科学を憎んでおり、科学を屈服させる為に科学者になったというエピがある。

このとき、彼は「自分がどうしても運転させろと主張した」という趣旨の発言をしており、それをそのまま考えれば「科学のせいじゃなくて、自分の無謀な運転のせいじゃないのか」となる。
勿論、遊園地のような場所で、レールの上を走る乗り物が正面衝突をするということ自体が間違っているわけで、無謀な運転をしようがよほどの事が無い限り、死亡事故が起きる事自体がおかしいのは間違いない。
だが、それと自分の意識の問題は別である。
このような場合「自分のせいだ」と思い込むのは、ごく自然なことであると考えられる。
だが、真田は「科学のせいだ」と言い切っている。彼が自分自身を「被害者」として認定しているのは、やはり弱さなのだろうと思う。

とはいえ、これは、彼自身が明晰な頭脳の持ち主であったことを示しており、いたずらに自身を責めるだけに終わらなかった強さを持っていることがうかがえるし、同時にそこに関わったであろう大人の存在を感じさせられる。

「2199」では、自身に纏わるエピソードは無い。彼の弱さを示すのは、「命令に逆らうことができない、そういう男である」という自嘲的な意識である。
作戦本部に所属してはいても、これは「命令」であると考える。つまり、イズモ作戦-地球脱出や、囮作戦は自分の意思ではないのだ、仕方の無いことだったのだ、という被害者の立ち位置を根幹に置くことで、彼は自分を保っていられるように、見える。

人の核を成すのは自尊心であると思う。
加害者と被害者では、己のよって立つ自尊心の傷つき方が大きく違う。自身の存在を否定するような自尊心の損ね方を選んではいけない。
彼は自分自身を守るため、最終的なところで「被害者」という形をとっているのだと考える。

だが、真田は表層的には自分を「加害者」だと規定している。
それが彼の強さで有り、彼の悲しみである。

命を奪う、尊厳を傷つける、という科学技術の持つ原罪に対し、彼は「加害者」としての意識を放棄してはいない。
そしてまた、いかなる理由があろうとも、親友を見捨てたという負い目は、彼を生涯縛り続けるものであろう。
それでも自暴自棄にならずにいられる強さは、悲しみを背負いつつ歩みをやめないというその姿は、やはり心を打つ。

「2199」で用いられた中原中也の詩「汚れつちまった悲しみに」。
真田は何を「汚れ」と言うのだろうか。

科学技術の持つ原罪。
地球脱出計画の負い目。
親友を救えなかった負い目。
そして、武器を開発製作することの罪。
自分が生き延びる為に、他を利用しようとする事の罪。

彼は、それらを肯定しながらも否定し続ける弱さを抱えながら、それでも歩みを止めることのない強さを持った男なのである。

そして何より、彼の一番強さは生き抜こうとする可能性にかける、意思の強さだ。
原作では、残したきた手足を爆破させるため、要塞の扉の外まで古代に運んでもらったこと。
「2199」では、たぶんあの部屋に入ったときから、古代と雪を巻き込まないこと、いざとなった水を利用することは考慮にいれてあったことなのだと思う。
どんなに少なかろうと、ゼロではない可能性にかける、という強さは、艦長沖田共々、真田を象徴するものであるといえる。

それぞれの作品にあったエピソードを作りだし、だが、それらの中核は変わらずに描かれており、
そのことがワタシはとても嬉しかったのだ。いろんな意味で、嬉しかった。

観に行って良かったなーと思う。

あー、そういえばいつだったか「2199の真田志郎はワタシの惚れた男じゃない」とかほざいたような気がしますが、すみません、撤回します。取り消します。(_ _;)

義肢設定については、まだ何とも言えない部分もあり、最後までお楽しみってところでしょうか。
ゲート内をロボットがうろついていたのも、台詞には無かったものの真田が周りの様子から中心部を探しあてたのも、原作を想起させて、なかなかにくい演出だったと思う。

次は、新見ちゃんについて語りたいと思います。
いやー「真田先輩」には、萌えました! 

テーマ : 宇宙戦艦ヤマト - ジャンル : アニメ・コミック

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