愛がない

2009/04/14 10:12

20年ほど前、合唱をやっていたことがある。
団体としては頑張っていたし、素晴らしく上手な方もいらっしゃったけれど、私は残念ながら下手っぴ。基本的に音痴なんだな。(がっかり)
でも、聞くのは好きで、今でも機会があれば聞きたいと思っている。

その合唱団で(混声60~80人くらいかな)は、いろいろな歌を歌った。
宗教曲もいくつかやったけれど、バードの「3声4声5声のミサ」は特に好き。(歌ってないけど)。私はクリスチャンではないけれど、人々の信仰への想いとかそこで演奏される曲とかは、気持ちよいものが多い。
合唱曲は、あまりたくさんは知らない。最近聞き直して気に入っているのが「地球へのバラード」とか「6つの子守歌」とか。ふと、何気ないときに思い浮かんでくる曲というのは、結構合唱曲だったりする。私の好みなのか、曲が素晴らしいのか、そういう年代で接した曲だからなのか、は不明。

で、その合唱団は学生のサークルであったわけだが、学生指揮者の他に「常任指揮者」としてプロの指揮者をお願いしていた。
その方が良く仰っていた言葉に「愛がない」というものがあった。

学生時代も、それから先の人生でも、その言葉は折に触れて思い出していたけれど、実は意味が良くわからなかった。呪文のように「愛がない」という言葉だけが繰り返される。

学生時代、その方が「お前たちは愛がない」と仰るのを聞いて、「あら。愛はあるんですよ。奥ゆかしいから見えないだけです」のようなことを、ふざけて言ったことがある。即座に「見えない愛に意味はない」と言われた。

やはり意味がわからないままに、その言葉だけがくりかえされる。

愛というのは、大好き、という気持ちのことではないのだ。
それだけではないのだ、と思うようになったのはここ最近のことだ。
そして、それを「表現する」ということ、「伝える」ということを考えるようになった。

大好きな人のために、大好きなことのために、大好きな音楽のために。
好きだからこそ。
私にできることは何だろう。
しなければならないことは、何だろう。

その選択を間違えれば、愛はただの迷惑にしかならない。

先生がどんな「人を愛していたのか、モノを愛していたのか、音楽を愛していたのか」何を求めていたのかは今でも良くわからない。
けれど、彼が曲に向かう姿勢は、何の知識もないど素人の私から見ても、大変真摯なモノであったと思う。今ならば、その言葉の向こう側にどれほどの努力と、知識と、愛とがあったのか、少しばかりは鑑みることができるかもしれないけれど、あの当時の私はただ「すごい」と仰ぎ見るばかりであった。それでも、(向こうは憶えちゃいないだろうけれど)そういう出逢いがあり、そういう場に遭遇することができたことは、宝だったと思う。
まぁ、あまり実になっていなくてごめんよ、先生。

見える愛。見えない愛。

人に何かを伝えることは大変に難しい。
言葉を尽くしても伝わらないモノが、音楽やちょっとした行動ひとつで、一瞬にして伝わることもある。

伝えたいことと伝わったこと。

彼が何を言いたかったのか、まだ、言葉で伝えることはできないけれど、あぁ、こういうことだったんじゃないか、と最近になってようやく思い至ることがあった。

彼は現在も音楽活動を続けていらっしゃる。昨年は機会を得、さらに素晴らしい演奏を聴かせていただいた。(演奏とはいわないのかな) 今年も機会があれば、是非、聞きに行きたいと思っている。


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「眠い」に拍手コメントくださったYさま
 いつもありがとうございます。
 「いつでも、どこでも、快眠」できるのが特技ですが(笑)、電車の中でたったまま「おちた」というのはあまりありません。しかし、年齢とともに夜更かしはきついです、翌日とお肌が☆

よもやま  | コメント : 0  | トラックバック : 0 |

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