桜の花が咲いたので

2014/04/05 18:25

少しふさいでおりました。
病床の父と、「お花見に行こうね」と話していたからです。

今年の桜は開花宣言が出たと思ったら、あっという間に満開になってしまいましたね。
雨だったり、気温が低かったりした日もありましたが、どうにかこの週末までお花見ができそうです。

自宅近くの川縁にも桜並木がありますが、今年は一度も行っていません。
咲き始めの頃はまだ良かったのですが、けぶるような桜色になってからは、どうしても目を背けてしまいます。

父と何かしらのイベントがしたかったわけではないのです。
闘病にあたり、小さな目標を持つことは良いことだと医師が言っていましたが、
ワタシの場合はそれとは少しだけ違った意味合いも含まれていたのです。

闘病中、以前と同じような生活ができないのなら退院しても仕方ない、というような事を父が言ったことがありました。
気が沈んだ時にそう思い、口にしただけなのかもしれません。
その時の気持ちによって、違う意味合いの言葉を発していましたから。
だから、それが父の唯一の本心だったと思っているわけではないのですが、それでもその言葉はワタシを捉えて離しませんでした。

ワタシは、ずっとベッドの上でもいいから父に居て欲しかったから。
それはワタシのワガママなんだろうか。
そもそも、生きるってどういう事なんだろう。
人間誰もが生まれた瞬間から必ず死ぬことは分かっているのに、どうして生きていけるんだろう。
自分で意思決定をして行動できることが生きるということならば、それがなければ生きる価値は無いのだろうか。
そんなことを、ずっとずっと考えていました。

病気になると、自分でできることは制限されます。
病状が重くなればなるほど、目の前にあるコップひとつ自分で動かすことができなくなってしまいます。
病気になったり、年老いたりすると、たくさんたくさん諦める事が必要になってきます。
そんな中でどうやって明日を生きていこうと思えるんだろう。

たくさん諦めなきゃいけないことがあっても、希望があれば生きていけるのかもしれない。
以前と同じ生活がたとえできなくなったとしても、生きていて良かったなと思える「喜び」があれば、生きていけるんじゃないかな、と思ったのです。

じゃあ、その喜びって何だろう。
車の運転や畑仕事や料理はできないかもしれないけれど、
家に帰って、家族がいて、友人がいて、そういう生活の中で、季節がかわってお花が咲いたね、って。
そう思えたら、生きていて良かったね、って思えるかなって。

父は硬膜下血腫やら肺炎やらで、もうダメかもしれないという状況から何度か生還しました。
あの時、たくさんの医師や看護師さんに助けてもらって良かったね、って、そういう話をワタシはしかった。

桜を見ると、「今はもう少しだけ、生きたい」と医師に言った父の言葉が蘇り、とても胸が苦しい。
今は盛りと咲く花をなかなか正視することができず、顔を背けてしまいます。

桜に罪はないけれど。
今年はお花見を楽しむのは難しそうだよ、父さん。


よもやま  | コメント : 2  | トラックバック : 0 |

コメント

No title

咲きはじめの週に二度の雨と半日の風の日があり、
今年は咲き乱れピークがよく観れなかったです。
でもそんなのは贅沢なのかもしれないと。
どうかお気をお元気に。
いえた義理も器量もありませんが、、、
想い、つのりますね。。。

| 2014/04/08 |  23:35 | 勘助 #- |  URL | 編集 |

Re: 返信が遅れましてごめんなさい

☆勘助様

 こんにちは、ポトスです。お返事が遅くなってしまい、すみませんでした。
 コメントありがとうございました。
 沈みがちなワタシに、お気持ちがとても嬉しかったです。

 桜に目を奪われていて全然気が付かなかったのですが、チューリップがとてもキレイに咲いていました。
 今はハナミズキもキレイですね。
 週末、五十日祭(仏でいう四十九日のようなです)がありますので、それが済んだらぼちぼちと平常運営に戻れるといいなと思っています。
 また、いらしてくださいね。^^

| 2014/04/18 |  01:35 | ポトス #Kyq53.yY |  URL | 編集 |

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する