五月晴れの今日

2015/06/24 23:11

ヤマト切り絵98 森雪
ヤマト切り絵98 森雪

画像検索してたら見つけた雪ちゃん。
カードゲームか何かかな?
こうしてみると、胸でか! って思いました(笑)


五月晴れっていうのは、本来、この梅雨の晴れ間の事だったんですってね。
朝の天気予報で平井ちゃんが言ってました。
旧暦でいうと、梅雨は五月ですもんね。

言葉は場所によって、そして、時と共に変化します。
ワタシはきっと言葉に対する感性が鈍いんでしょうね。
若者言葉も、ら抜き言葉も平気です。
さすがに、仕事上の文書で使うことはありませんが、
コミュニケーション上でカジュアル感や親近感を匂わせるのには有効なツールだと思ってます。

地域によって意味が変わってしまうのは、もう「郷に入れば郷に従え」だよねぇと思いますが、
時代によって変化するのは、ケースバイケースというか、TPOで使い分けられれば良いと思ってます。

何だったかな。
確か、高校時代の部活のノリで、「あざっす」とバイト先で使っていると怪獣が言っていたことがありまして。
「……それはやめなさい。ちゃんとありがとうございます、と発音しなさい」と注意したら、
きょとんと。
本人的には「敬語」を使っているつもりだったみたいですね。
バイトを始めた頃のことだから、今はどうしているのか知らないけど、
それが許容されるのならそれでも良いと思うし、
そうじゃなければ直せばいいだけのことだと思っています。

たとえば。
「こども」にどんな漢字を当てますか?
ワタシは「子ども」を使っています。
「供」という文字が忌避された事があり、その頃に「子ども」という書き方が増えたんですよね。

言葉本来の意味を考える事は悪い事じゃありません。
大体、差別用語といわれるものは意味を知らずに常用していることが多いものですし。
でも、それを厳密に当てはめ、過度に強要することは疑問に思います。

それで傷つく人がいるんだから、と言われてしまうと、反論できませんが、
言葉を換えたからって、実体が変わるものではないと思いますし。
(もっとも、言葉によって状態が変わる可能性はゼロじゃないですけど)

じゃあどうするよ、と考えれば、「ケースバイケース」なんじゃないか、と思うのです。
「空気を読む」というのは思春期の過剰な反応のように語られがちですが、
本来、日本人が日常的に行っていた「察する」ってことですよね。

普段、基本的にはワタシはこう使う。
でも、今は目の前にそれをされると傷つく人がいるとなれば、使わないという選択肢もある。
わかっていても、敢えて使う場合もあるかもしれない。
納得できれば、もう使わないということにもなるかもしれない。

その場に相応しい言葉を選ぶ。
それでいいのだと思いますし、その基準が人によって違ってしまうのは仕方の無い事。
特に、現在のように価値観が多様化しているとそれは顕著ですよね。
言葉は、語られる内容だけでなく、どんな言葉を選ぶかによってその人の立ち位置を決める要因となるわけです。

ただ、過度な「忖度」はあまり幸せな結果を招かないというのも、経験的に知っています。
歴史的にも示されていますね。

ほどほどであること。
相応しい程度をわきまえること。

ワタシが若かった時代には、悪習としか映らなかったあれこれが、
年齢を重ねてみれば、それが「大人である」ことだったのだと、最近とみに思うようになりました。

その年齢になってみなきゃわかんないことが、絶対にあるんだよ。
と、父がよく言っていましたが、成る程、そういうことか、と思います。
その立場にたってみて初めてわかることって、たくさんありますもんね。

来週は7月だよ、というこの時期の晴れ間を、「五月晴れ」と呼ぶには些か違和感が拭えません。
きっと元の使い方をされることはないでしょうね。
言葉って、面白いですね。^^


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よもやま  | コメント : 0  | トラックバック : 0 |

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