親友

2015/07/25 01:10

「君は愛する人のために死ねるか」というのは「さらば」のキャッチコピーだったと思うが、
2199」のテーマは、「愛」でも「ロマン」でもなく、「信頼」だったと思う。

そのテーマに沿って、作品中には幾通りかの友情や愛情が描かれている。
同期の桜然り、異星人との信頼然り。

それ自体は監督が選んだテーマとして、否定するつもりはない。
ただ、ワタシがひとつ大きく違和感を感じた言葉がある。
「親友」という言葉だ。

ガミラス側にも、タランとドメルのように、「特に仲の良さそうな友人関係」が匂わせてあったが、
「親友」という言葉が使われたのは、地球人3組だったと思う。

沖田と土方。
真田と古代守。
そして、古代進と島大介だ。

ワタシは「親友」という言葉にとても青臭い匂いを感じている。
その言葉自体を否定するものではないが、「お前だけは特別だよな」という厨二的な気恥ずかしさを感じる。
だから、「方舟」に於いて、土方が沖田を「オレの親友の艦だ」と言った時には、「カッコ悪!」と思ってしまった。

ただ、そう感じたのはワタシの知る限り、ワタシだけだったらしく、誰からも賛同を得ていない。
だから、ワタシはどうしてこんなに違和感を感じるのか、しつこくずっと考えていた。

「親友」ではなく「友」と言ったなら、違和感は感じなかったと思う。
うーん、これは思春期に松本作品にかぶれた影響か? と思い、オトモダチに聞いてみた。
すると、「でも、ハーロックが言う「オレの」友という言葉は、トチローを指しているよね? それと同じ」と言う答えが返ってきた。

そうかな~? 何か違くないかな~? と、これまたしつこく考えていた。

そしてようやく一つの答えに辿り着いた。

「親友」という言葉は、「仲間」というカテゴリーにおいて、そのヒエラルキーの頂点に立つ言葉だと思う。
だから、違和感を感じたんじゃないかと思うのだ。

人と人の関係性に於いて、親密さに差があるのは当然だ。
それ自体を否定したいわけじゃない。
家族と職場の同僚や先輩後輩とを、同じように接するのはヘンだし、
小学校以来の友人と一週間前に知り合った人間に同じような信頼を寄せることは、あまりない。
人と人の関係性に於いて親密さに差がない人がいたら、たぶん、ワタシはその人を信頼できないだろう。
他人から「親友」と呼ばれることを重たいと感じる事もあるかもしれないが、そういう関係性であることは喜ばしいことだと思う。

だが、しかし。
ヤマトのように「一蓮托生」というか、生死を共にするような仲間の間で、
「アイツとオレは親友だ」と公言することに、果たしてメリットがあるだろうか?
「アイツとオレは親友だ」ということは、「アイツじゃないアンタは、オレの親友ではない」と言っていることに等しいのではないか?
「アイツもお前も親友だ」というなら、「アイツとオレは親友だ」という言い方はしないと思う。

つまり、ある集団に於いて、誰かを自分の親友だと公言することは、それ以外の人間を切って捨てるに等しい行為だと思う。
ある集団に属する仲間全員に対して同じような厚意を抱く、同じような信頼を寄せる、ということは通常有り得ないことではあるものの、それを公言することにどんなメリットがあるのかワタシにはわからない。
親友と呼ばれたたった1人(或いは数人)が喜び、そこから漏れた残り全員が不愉快になるだけじゃないのだろうか。

ハーロックが、「友よ」と呼びかけるトチローに対して、他の誰よりも信頼を寄せていることは明白だが、
昨日今日知り合いになったトカーガのゾルに対して、親友であるトチローと区別した対応をとるだろうか?
ハーロックは一旦「仲間」だと認めたならば、仲間に差を付けるような信頼の示し方は決してしない。
長年の親友のトチローであっても、トカーガのゾルに対しても、同じように命懸けの信頼を寄せる。

もし、ハーロックがトチローだけを「親友」と呼んだら?
ゾルは、ハーロックが自分にも同じような信頼を寄せていると信じることができただろうか?

例えが海賊ばかりなのは偶然ではないと思うけれど、
「ワンピース」のルフィが、最初に仲間になったゾロと後々仲間になったロビンの間に差をつけるだろうか?
彼らの間にあるのは、「仲間」かそうじゃないか、だけであり、「仲間」の中にランクは存在しない。

「信頼を寄せる相手」に「同僚」「小学校からの同級生」「サークルの仲間」「同好の士」等々というカテゴリーは存在する。
だが、そこに「ただの友だち」「親友」と言ったようなヒエラルキーを持ち込むことに、ワタシは違和感を覚える。
特に、生死を共にするような集団である場合は、やってはいけないことだと思う。
スクールカースト等という言葉が跋扈する現在だからこそ感じる違和感かもしれないけれど、
「信頼」をテーマとするならば、そこにあるのは「仲間」という言葉だけで良かったのではないか、とワタシは思う。

何も言わずとも、或いは、何を知っていようとも信頼し合える沖田と土方という友情、
信頼を分かち合いつつも、大切に思う相手に大事な事を打ち明けられなかったと悩む真田と古代守、
これから信頼を培っていく若き古代進と島大介、
という三つの友情を対比させつつ、友情の在り方を表現するのならば、そこで敢えて「親友」という言葉を使わなくとも良かったのではないかとワタシは思う。
そんな言葉を使わなくとも、視聴者はその意図を十分に受け取ったと思うのだけど。
つい、「親友」以外はどうでもいいんかい、とツッコみたくなってしまうし、敢えてその言葉を使っても、人としてみみっちいと思ってしまう。

更に言えば、どうせ新見薫を絡ませるなら、「友情」として描いていればここまで新見ちゃんが嫌われることはなかったんじゃないかと思う(笑)
(ワタシは新見ちゃんを嫌いじゃないよ)

毎度、長い記事で申し訳ない。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。*^^*


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テーマ : 宇宙戦艦ヤマト2199 - ジャンル : アニメ・コミック

ヤマトのこと  | コメント : 2  | トラックバック : 0 |

コメント

No title

いつも読ませて頂いています (^^)。
土方さんは「俺の信頼する男の艦だ」とでも言えばいいのに、「親友の」という言葉を付けている。きっと普段は日本人はあんまり使わないと思うんです。「親友」って、やはり重い言葉だと思いますから。

だから、土方さんが自分自身へ言い聞かしているというか、
そう言い表した方が観ている第三者の私達にその関係性を強く印象づけようとしているのかな、なんて思いました。

土方さんと沖田艦長が親友というのは何となく分かることだけれど、決定的なそういうある意味クサイ言葉を使ってくれた方が手っ取り早くて分かり易いからかな?なんて、私はそう考えていました。(勿論、私は「親友」だなんて、痒くなるんですが (^_^;)。)


ちょっと話からは逸れるのかもしれませんが、
脚本集を買いまして、第十七話を読んで見ると、

「わたしとユリーシャさんは知り合いだったんですか?」(雪)
「いや・・・親友だったよ」(真田)

「真田さんと兄は知り合いだったんですか・・・」(古代)
「いや。・・・親友だったよ」(真田)

というのがあって、これを読むと誰かと誰かが親友だ、というような、この回は「親友」というテーマもあったのかなと思いました。

| 2015/07/25 |  08:20 | ゆきんこ #- |  URL | 編集 |

面白ーい…

なんかたまに、目が点になるような斬新な考え方を目にするので、ポトスちゃんの書くものは読んでいてとっても面白いです!!

私、ぜんっぜんこういう風には考えなかった〜〜〜思いつきもしなかった。

単純に50半ばの土方さんが同世代の沖田さんを「俺のダチ」と言ったらちょっとその辺のオッサンみたいで嫌だな、っていうくらいかなあ(おい)。でも、2199の山南さんだったら「ダチ」って言いそう(な見た目)ですね。

ハーロックの場合は確かに!!
ゾルって、一瞬で分かる人、そうたくさんはいなさそうな(^^)確かに、あの世界では、瞬間的に相手を「友」かそうでないか、見分ける能力=生存能力、とも呼べるのかもしれない。
海賊なんていうモチーフだから、余計に。
だから、そこには「こいつはちょっと友達」「こいつは結構仲が良い」「コイツはすごく頼れる」みたいな、カーストもヒエラルキーも無い。だって、仲間内でそんな順位が出来てたら、下手すりゃ命が幾つあっても安心して眠れないじゃん、ということですよね。

うーん…
けど、だからといって、それが「じゃあその他のお前らはそうでもない」っていう意味か、って言ったら、そうなのかなあ……そ、それは私自身感じなかった……


変なたとえだけど、「あ・うんの呼吸」ってあるじゃん。
どんなに仲が良くて、信頼してても、それがない友達っているじゃん。(え?いない?^^;あれ?)
例え連絡取りあわなくてもあいつならこの場合はこうする、って相手の呼吸が分かるような友達。
通信が途絶えていても、互いの動向が分からなくても、状況がこう展開したならばあいつはこう動く、それが分かる相手。
そういう相手を彼らは「親友」って呼んでるんじゃないかな、って私は思ったのだ。
楽器のセッションしてたり、一緒に同じキャンバスに絵を描いてたり、バスケのパスだったり、そういう時に、なんかアイコンタクト無しでも分かってくれる相手、っていうのかな?
「あいつとあいつでなきゃ成り立たない」っていう超絶な関係があるじゃないですか…

そういう人同士を見ていたら、その他の人たちは自分がその中に入っていなくても、「なーんだ、俺は親友じゃないのね、ただのトモダチね」なんて悲観することもないと思うんだよね。端から見てて、ああ、あいつらは特別だな、って分かるし、だからそれに対して妬んだりすることもない。むしろすごい奴らだな、って思うんじゃなかろうか。

それが古代と島であり、
真田と守であり、沖田と土方であり…なんじゃないかな、ってな。
私は、彼らの言う所の「親友」っていうのはそういうのだと思ってました……

浅はか?^^;
そしてロマンチックすぎ?w

(長文失礼)


| 2015/07/27 |  20:42 | ERI #lObU7GmY |  URL | 編集 |

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