親友・2(コメントへの返信も含む)

2015/07/31 16:44

前回の記事(親友)にいただいた反応を見ていると、やはり、こんな事を考えているのはワタシだけだったらしい…ということが判明した。^^;

それでも諦めきれなくて?w、ウチの怪獣にも話してみた結果、要約すると以下のような答えが返ってきた。
「うーん、母さんの言うこともわからないじゃないけど、考えすぎってか、うがち過ぎじゃね? 親友ってのも、カテゴリーのひとつでいんじゃねえの? まあ自分で「親友」って言っちゃうのは無粋だと思うし、「友」くらいにしといた方がカッコいいと思うけど」
とな。

まあ、そういうことかな。
(笑)

日々のドラマの中でも、例えば戦国時代でも、信頼関係にヒビが入り関係が壊れるのに、
大切な人に裏切られた、という感情に起因していることがある。
大きな戦いや困難をくぐり抜けてきた確固たる(と思っていた)信頼関係が崩壊するきっかけとなるのは、
それに相応するような大きな戦いだったり、困難だったりするのではなく、
自分よりも誰かを優先したとか、自分の意見がないがしろにされたといった、ささいな事だったりする。
それが疑いを生み、信頼を壊す。
乗り越えた困難が大きければ大きいほど、ささいな行き違いで人の関係は壊れる。

困難を分かち合うのも難しいが、富貴を分かち合うことは更に難しいと言う。
人はさほどに弱く、他人を信じるのはなかなか難しい。

親友と呼び合う2人の関係に、傷つく人は少ないながらも存在すると思う。
アイコンタクトがとれるような関係、アイツとじゃなきゃ有り得ない関係。
傍から見たとき、大抵の人間はそれを「スゴイ」と思うし、そういう人たちを尊敬する。
けれど、少数ながらもそれを傍観するのではなく、自分こそがそこにありたかったと思う人は存在するだろうと思う。
その場所に自分が居たくて、努力して、でもなれなかった人。
それに傷つくか、嫉むか、妬むか、或いは清々しくそのふたりを尊敬するか。
それは人それぞれだろうけど、心痛める人はきっといると思う。

でも、それは「親友」という言葉とは関係ない。
そんな人の気持ちを考えて言葉を発するのは、忖度のしすぎだ。
言葉をどう扱うかではなく、それはそれに直面する本人が乗り越えるべきものだからね。

「親友」
確かにそれはヒエラルキーではなく、カテゴリーのひとつなのかもしれない。
何故なら、他にその関係を表す言葉を探せないことがあるからだ。

沖田と土方、真田と古代守、古代進と島大介。
彼らの関係性を語るのに、「親友」という言葉は相応しいのかもしれない。

戦友と親友、どちらが重い言葉だと思うか。
それは、たぶん人それぞれに違うのだろう。
ワタシは、親友よりも戦友の方が重い言葉だと思う。
仲の良い友人を全て親友というわけではないのと同じように、
同じ戦いの場にいた人間を全て戦友と呼ぶわけではないだろうと思うから。

これはあるオトモダチの言葉なのだけれど、
真田と古代守は、メ号作戦を真田が伝えられなかったあのシーンではまだ親友ではなかったのだ。
何故なら、親友とは古代と土方のように、全てをわかり合い、それでもなお互いを信頼できる関係だから。
古代守は真田に真実を告げられても、笑って出撃して行っただろう。
告げても告げなくとも、きっと古代守の行動はかわらない。
それを信じることができなかった真田は、道に迷っていたのだろう。
それでも、古代が生きていたなら、いつかは沖田・土方に並ぶ親友になっていただろう。
と。

成る程、と思った。
親友になる(=信頼を得る)にも、一足飛びにはいかない。
相手を発見し、競い合い、互いを認め、試練をくぐり抜け、ふたりの関係は確かなものとなっていく。
沖田・土方、真田・守、進・島という世代の違う3組を描くことで、
成る程、監督は信頼の過程をも描こうとしたのかもしれない。

それにしても、ユリーシャと雪が親友だったという表現、本編でもありましたっけ?
ゆきんこさんが、脚本集から抜粋してくださいましたが、ワタシはビックリ! でした。
(副長関係以外は、結構うろ覚えで…苦笑)
そういえば、監督は上記3組だけでなく、あっちこっちに親友(らしき関係)を配置してましたもんねえ。

でも、やっぱりワタシは自分でそれを発するのはカッコ悪いと感じるなぁ。
「無粋」だと思っちゃう。^^;

それから、ワタシが前記事で例に出したハーロックとルフィの場合、仲間の中に上下関係を設けないのは海賊という関係上当然で、偶然ではないと思う。
コメントでERIさんが仰ったことはまさにその通りで、
逆に言えば、ガンダムの中で、仲間とそれ以外(敵?)というカテゴリーしか存在しなかったら、話そのものが成り立たないしね。
そう考えれば、軍隊という組織で動いている以上、いろんな関係があって然るべきなのかもね。
ERIさんがロマンチストなんじゃなくて、ワタシがひがみっぽいのだな、きっと。^^;

先日、上京した友人と会った。
息子ちゃんが剣道の大会に出るので、武道館まで応援にいったの。
何年ぶりだったかなぁ?
彼女とはカテゴリー的に表現すると、ママ友だ。
子どもが生まれて誰も知り合いのいない土地で10年暮らした。
そこで知り合い、助け合い、たくさんの友人を得た。
その中でも特に親しい存在はあるもので、ほぼ家族同様に暮らしていたひとりだ。
子どもはその家族同様の中に7人いるけれど、同い年なのは一組(ふたり)だけだった。
子ども達同士は、「親の友だちの子」というより「偽兄弟(笑)」というか「親戚」感覚でいる。
今でもあれこれとやりとりしてるっぽいし、たぶん、何年会わなくてもそういう感覚はなくならないだろう。

彼女たちとの関係を、親友というのは、何かちょっと違うような気がする。
もっと近しい、何か、だ。
でも息子達に言わせると、「え、親友じゃね?」なんだそうだ。

「文系の人たちは前提となる言葉のすりあわせをしない」と、養老孟司が森博嗣との対談の中で言っていたけど、
同じ言葉を使っていても、そこにある感覚って案外人によって違うものだってのが、改めてわかった。

たぶん、ワタシは自分の生育過程に於いて、「親友」という言葉に結構なこだわりを持ってしまったんだろう。
まだしばらく、「何か違くね?」とぶつぶついいながら、2199を見ることになるんだろうと思う。

この記事にコメントくださった、ゆきんこ様、ERI様、拍手コメントいただいたK様、Y様ありがとうございました。^^
お返事の記事が遅くなってしまってスミマセンでした。
それからご訪問くださったY様、ようこそいらっしゃいました。^^
呆れずにまたお越しくださいませ。

TAG : 2199

テーマ : 宇宙戦艦ヤマト2199 - ジャンル : アニメ・コミック

ヤマトのこと  | コメント : 4  | トラックバック : 0 |

コメント

イスカリオテのユダ

ポトスちゃんの方が、私よりずっと冷静に世の中を見ている……といつも思ってる〜〜〜。


特に、以下は確かにそうだと思う…

>日々のドラマの中でも、例えば戦国時代でも、信頼関係にヒビが入り関係が壊れるのに、
大切な人に裏切られた、という感情に起因していることがある。

↑これのすごく有名なのが、いわゆるキリストの12弟子のうちの裏切り者、イスカリオテのユダの感情、だと思う。


歴史や文学の中の、実例に基づいたフィクションでも、「私は軽んじられた」という感情が原因で、好きだったあるいは尊敬していた「友」とも呼べる相手を裏切ったり陥れたり、という事件は起きている。
「軽んじられた」と感じてしまう人は狭量だったり独善だったりするのだろうけど、イスカリオテのユダのようにそう感じてしまう人がいるのも事実で、それに起因する人間関係の崩壊、も現実にあると思う。

誰かの感情に気付けなかったが故の悲劇、というモチーフは、すごく繊細でリアルで、これを上手に描いている作品はホントに少ない。


ポトスちゃんの感覚はその少数派に属するタイプのもので、大抵が気付けないとこに気付いてる、かなり鋭いものじゃないかな、って感心してる。


ただ、ヤマト(特に2199の場合は)だと、旅とか戦い、が中心だから、その中で人と人との微妙な関係性を丁寧に描くのはちょっと無理がある。キャラの多さゆえに薄っぺらい友情を描くだけで精一杯みたいな所もあるから。

だから、アニメやマンガで「親友」って言ったら「あ・うんの呼吸の通じる相手」くらいなことじゃないかな、ってやっぱ思うんだけどね(^^;)




| 2015/08/03 |  00:17 | ERI #lObU7GmY |  URL | 編集 |

Re: イスカリオテのユダ

☆ERI様

 こんにちは~コメントありがとうございます。^^
 何かずっと引っかかっていたことに、ある日、これだ! と理屈が付いたような気がしてですね、
 勇んで書いてみたものの、あ、やっぱ屁理屈だった? みたいな感じです。^^;

> ポトスちゃんの方が、私よりずっと冷静に世の中を見ている……といつも思ってる〜〜〜。
 
 わははは、そんな事無いですよ~。
 自分で気付いていなかったけど、どうやらワタシの各文章ってカタいみたいですね~^^;
 だから、きっとそういう印象を受けるのかもです。


> >日々のドラマの中でも、例えば戦国時代でも、信頼関係にヒビが入り関係が壊れるのに、
> 大切な人に裏切られた、という感情に起因していることがある。
>
> ↑これのすごく有名なのが、いわゆるキリストの12弟子のうちの裏切り者、イスカリオテのユダの感情、だと思う。

 おおっ。さすがERIさんです。引いてきた例えが壮大ですね!
>
> 歴史や文学の中の、実例に基づいたフィクションでも、「私は軽んじられた」という感情が原因で、好きだったあるいは尊敬していた「友」とも呼べる相手を裏切ったり陥れたり、という事件は起きている。
> 「軽んじられた」と感じてしまう人は狭量だったり独善だったりするのだろうけど、イスカリオテのユダのようにそう感じてしまう人がいるのも事実で、それに起因する人間関係の崩壊、も現実にあると思う。

 そうなんですよ!
 信頼関係を壊す要因って、まあイロイロありますけどね、
 得てして、この2人がどうして!? って時は、そういう場合が多いですよね。
 義理人情とか、メンツとか、ワタシがそういう世界の物語を好む所為でもあるんでしょうけど、
 戦国時代に代表されるような武家社会には多い気がします。
 もっとも、現実的にも「おじさんのメンツをツブしたら物事は上手く運ばない」って思ってますけど。ww
 あ、話がそれた。

> 誰かの感情に気付けなかったが故の悲劇、というモチーフは、すごく繊細でリアルで、これを上手に描いている作品はホントに少ない。

 そうですね、上手く描いている作品って少ないかも。
 モチーフとしては取り上げられやすいと思いますけど。

> ポトスちゃんの感覚はその少数派に属するタイプのもので、大抵が気付けないとこに気付いてる、かなり鋭いものじゃないかな、って感心してる。

 うふふ、ありがとうございます。
 でも単にひがみっぽいだけですよ、きっと。ww


> ただ、ヤマト(特に2199の場合は)だと、旅とか戦い、が中心だから、その中で人と人との微妙な関係性を丁寧に描くのはちょっと無理がある。キャラの多さゆえに薄っぺらい友情を描くだけで精一杯みたいな所もあるから。
>
> だから、アニメやマンガで「親友」って言ったら「あ・うんの呼吸の通じる相手」くらいなことじゃないかな、ってやっぱ思うんだけどね(^^;)

 ワタシはできない事はないと思うんですよね。
 的をあるキャラに絞ってしまえば。
 で、それを言葉で説明しなくても、視聴者に委ねちゃえばいいのに、と思う。
 わざわざ言わなくったってわかると思うんだけど。

 土方が、「オレの親友の艦だ」って言うシーンを、「沖田の艦だ」って言っってもね、
 土方が沖田をどれだけ信頼しているかは伝わるし、
 沖田に寄せる想いが能力だけじゃなくて重ねてきた歴史にある、
 つまりふたりは親友だってことは、見てる人には伝わると思う。
 それをわざわざ言葉で言っちゃうのってダサい。
 それとも、監督は言わせなきゃ伝わらないと思ってるのかな。

 ワタシなんか、相手が自分に疑いを持っている時、或いは逆に、相手を騙して丸め込もうと思っている時にこそ、
 「お前はオレの親友だ」って言葉は最高に効力を発揮するような気がしちゃうけど。
 それは、まあ、うがち過ぎってもんでしょう。(笑)


| 2015/08/05 |  13:42 | ポトス #Kyq53.yY |  URL | 編集 |

No title

ご無沙汰しておりました。
SNSの方に集中していまして、皆様のブログ巡回をすっかりサボっておりました(滝汗

「親友」と言う言葉に関して、私の中では定義が無いんです。
友人は多いけど、地元の友人だって年に数回会うか合わないか。
少し距離が離れればそれこそ10数年ぶりになってしまいます。

先日も、10数年振りに会社の同僚で海外旅行仲間だった友人に会いました。
親友なのかどうかは分からないけれど、会った瞬間に違和感なく会話が進む。
愚痴話などは一切でず、かといって家族の話をするでもなく、何を話したのかは覚えていないけど楽しい時間だった。

敢えて言うなら「何年振りに会っても会話に無理が生じない」のが親友なのかな。
年に数回会っていても、会話に違和感があったり少し無理を感じるところがあれば「友人」
会話そのものが苦痛になったら「他人」→そして縁切り
大きく分けるとこんな感じ。

趣味仲間はこのカテゴリーには入らないですけどね。

言葉の定義と言うのは人によって違う所が難しくもあり面白い所でもありますね。

| 2015/08/08 |  22:23 | koo #- |  URL | 編集 |

Re: No title

☆koo様

 こんにちは~コメントありがとうございます。^^

> ご無沙汰しておりました。
> SNSの方に集中していまして、皆様のブログ巡回をすっかりサボっておりました(滝汗

 いやいや、ワタシなんてパソコン開くことができない日だってあるくらいですから。^^;
 皆それぞれのペースで参りましょう。

> 「親友」と言う言葉に関して、私の中では定義が無いんです。

 そうなのかもしれない、と目から鱗です。
 いろんな友人がいて、多いとか少ないとか、会っている回数もそれぞれで、
 本来他人と比べるものじゃないんだと思います。

> 友人は多いけど、地元の友人だって年に数回会うか合わないか。
> 少し距離が離れればそれこそ10数年ぶりになってしまいます。

 学生時代には考えられなかった距離感というか、
 あっという間に過ぎ去ってしまう時間がありますよね!

> 何を話したのかは覚えていないけど楽しい時間だった。

 ああ! そういう関係はワタシにも覚えがあります。
 意味があるんだかないんだか、と思いつつ…(笑)

> 敢えて言うなら「何年振りに会っても会話に無理が生じない」のが親友なのかな。
> 年に数回会っていても、会話に違和感があったり少し無理を感じるところがあれば「友人」
> 会話そのものが苦痛になったら「他人」→そして縁切り
> 大きく分けるとこんな感じ。

 ふんふん、なるほど。kooさんの中ではそういう区切りがあるんですね。
 考えてみれば、ワタシは「親友」と呼ぶような関係がないのかもしれません。
 というか、あの人はワタシの親友、と言葉にして考えたことがないと言いますか。
 うーん、やっぱり何かあるんでしょうね、ワタシの場合。
 「親しい友人」以外は、「知り合い」か「他人」になってしまうかな。
 でもね、親友じゃなくても、しんどい時を支え合って過ごした人って、
 やっぱり大切な人になりますよね。

> 趣味仲間はこのカテゴリーには入らないですけどね。

 ああ、これはこれで全く別ですね!(笑)

> 言葉の定義と言うのは人によって違う所が難しくもあり面白い所でもありますね。

 はい、同感です。(^_^)ゞ
 

| 2015/08/12 |  22:43 | ポトス #Kyq53.yY |  URL | 編集 |

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